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横濱西洋館de古楽2018
薫る風〜新しい様式による
リュートのためのトッカータと舞曲
aure nove Toccate e danze per liuto in stile moderno
“洋館で親しむバロック音楽”シリーズ 第77回
2018年2月12日(月・休日) 18時 エリスマン邸
18:00 12th Feb. 2018 at Ehrismann residence
主催:「横濱・西洋館de古楽」実行委員会
協力:アンサンブル山手バロッコ
出演
野入志津子(アーチリュート)
京都生まれ。同志社女子大学音楽学科(音楽学専攻)卒業。在学中よりリュートを岡本一郎氏に師事。京都音楽協会賞受賞。 リュートとルネサンス、バロック音楽を学び深めるためにバーゼルのスコラ・カントルムでオイゲン・ドンボアとホプキンソン・スミスに師事、1991年ソリストディプロマ。アムステルダムを拠点に活動している。 古楽界の巨匠ルネ・ヤーコブスの専属リュート奏者として20年以上にわたりオペラやオラトリオの上演を続けている。 主な活動は、インスブルック古楽音楽 Innsbrucker Festwochen der Alten Musik(オーストリア)、エクサン・プロ ヴァンス国際音楽祭 Festival d'Aix(フランス)、シャンゼリゼ劇場 Théâtre des Champs-Élysées(パリ)、モネ劇場 La Monnaie(ブリュッセル)、ベルリン国立歌劇場 Staatsoper Unter den Linden、ウィーン劇場 Wiener Staatsoper、リンカーン・センターLincoln Center for the Performing Arts(ニューヨーク)、バービカン・センター Barbican Centre(ロンドン)、シテ・ド・ラ・ミュジック Cité de la musique (パリ)、芸術の宮殿(ブリュッセル)、ザルツブル グ音楽祭 Salzburger Festspiele、ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン La Folle Journée (東京、ミッシェル・コルボー指揮), Teatro Avenida (ブエノスアイレス、J.M. Quintana 指揮)、東京オペラシティ(鈴木雅明指揮)等。アンサンブル「レ・プレジール・デュ・パルナッス Les Plaisirs du Parnasse」のメンバーであり、世界各国でソリスト 及び通奏低音奏者として、アンナー・ビルスマ、コンチェルト・ヴォカーレ、イ・ムジチ合奏団、フライブルク・バロック・オー ケストラ、アンサンブル415、ベルリン古楽アカデミー, バッハ・コレギウム・ジャパン など先導的なアーティストやアン サンブルと活動している。
コンサート活動:
コンセルトヘボー(アムステルダム)、ベルリンフィルハーモニー, ラ・シャペル・ロワイヤル (ヴェル サイユ)、ゲヴァントハウス(ライプチヒ)、シドニーオペラ(オーストラリア)、ルービンアカデミー(イスラエル)、カタルー ニャ音楽堂 (バルセロナ)、王宮宮殿(マドリッド)、ボリショイ劇場(モスクワ)や ボーヌ国際バロックオペラ音楽祭、ア ンブロネイ・バロック音楽祭(フランス)、ウルビーノ古楽祭(イタリア)、ブリュージュ国際音楽祭(ベルギー)、プラハの 春などの音楽祭。1997〜1999年、古楽情報誌アントレに「演奏家のためのバロック音楽、17・18世紀イタリアの音楽〜通奏低 音法を中心に」を23回にわたり連載。 エクサン・プロヴァンス、チェコ、イスラエルでマスターコースを行い、2015年より東京芸術大学古楽科で講習会を行う。
ディスコグラフィー:
フィリップス(イムジチ合奏団)、ハルモニア・ムンディ・フランス(ルネ・ヤーコブス指揮)、WDR、 BIS, Symphonia , Zig-Zagなどのレーベルに録音。
ソロの CD はレグルスから 「 G・A・カステリオーノ〜様々な作曲家によるリュート曲集ミラノ1536年 G.A.
Casteliono, Intabolatura de Leuto」「ジョヴァンニ・ザンボーニ:リュート・ソナタ集 ルッカ1718年 Giovanni Zamboni, Sonate d’Intavolatura di
Leuro」をリリース。レコード芸術誌特選版。また、2017年には最新のCD「薫る風 新しい様式によるリュートのためのトッカータと舞曲 aure
nove Toccate e danze per liuto in
stile modern」をAcousticReviveよりリリース。
横濱西洋館de古楽2018
薫る風〜新しい様式による
リュートのためのトッカータと舞曲
aure nove Toccate e danze per liuto in stile moderno
“洋館で親しむバロック音楽”シリーズ 第77回
プログラムノート(野入志津子)
1600年頃のイタリアで、音楽の様式に革命的な変化が起こった。従来のポリフォニーの音楽から、まさに対極的な音楽 様式が誕生した。厳格な対位法から解放された音楽には、歌詞、感情の表現、劇的な要素が重要になった。歌詞を「語るように歌う(recitar cantando)」モノディー様式と呼ばれる音楽作法、緩と急、強と弱の対比、そして特に不協和音の使い方などで感情やドラマを表現することに当時の音楽世界は興奮した。
「バロック芸術(歪んだ真珠)」と言われる新しい芸術様式は、光と陰、明と暗の対比や動きを仰々しいほどに表現する激昂と興奮の芸術であり、ドラマの原理が支配する芸術である。音楽においても、歌とそのメロディーを支える通奏低音という上下の対極から生まれる新しい様式 (Seconda Prattica あるいは Stile Moderno)がバロック音楽の幕開けであり、劇音楽オペラが誕生するのである。
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エステ家が350年にわたって治めたイタリアの街フェラーラは、ルネサンス時代から文化栄える都市であった。アルフォンソ2世は代々のエステ家の当主におとらず芸術文化を愛好し、宮廷ではルッツァスコ・ルッツァスキ Luzzasco Luzzaschiなど名だたる音楽家の新スタイルの音楽が驚嘆とともにもてはやされていた。キタローネというジャイアントリュートを発案したメディチ家のリュート奏者アントニオ・ナルディ Antonio Naldi も、フィレンツェからさほど遠くないフェラーラで演奏し、アルフォンソ2世 は大いにご満足だったという記述がある。(エミリオ・デ・カヴァリエーリからルッツァスコ・ルッツァスキへの手紙1592年 letter from Emilio de Cavalieri to Luzzasco Luzzaschi 1592) そのフェラーラの宮廷楽員にピッチニーニという、リュート奏者の 一家がいた。「語るように歌う」新スタイルの歌の伴奏に最もふさわしいとカッチーニが賞賛した改造リュート、キタローネ(あるいはテオルボ)にピッチニーニ一家が夢中になったのは間違いない。音楽様式の変動に応じて、何百年もの間愛好してきた完璧なリュートの姿形をも思い切って変形していったのがその当時であった。流動的でまさに興奮の時代であった。
アレッサンドロ・ピッチニーニ Alessandro Piccinini (1566~ca.1638)は、長い竿がついて低音域がぐっと広がったキタローネの朗々とした響きに魅せられながらも、洋梨の形をしたリュート本来の甘い響きと高音域やポリフォニーも弾ける独奏楽器としての夢のような楽器を求めていた。1594年の歳の暮れ、フェラーラ公の命を受けてパドヴァに到着したアレッサンドロは、さっそく夢のリュートを注文する。「この寒い冬のさなかに リュート製作だなんて…」と渋る Christofano Heberle工房の名工をなんとか口説き、工夫を凝らして出来上がったリュートは、アレッサンドロ自身が「この上ないできばえ」と記述している。長い竿が付いたテオルボ型リュートは他にも存在したが、アレッサ ンドロは自分が発明したという自負の思いを込めてこのリュートをアーチリュートと呼んで区別した。完成した3台のアーチリュートをさっそく彼はフェラーラに持ち帰った。今、 その1台は、ウィーンの文化歴史博物館に展示されている(写真) 。アーチリュートはその後、1台はナポリへ、1台はローマに運ばれ、リュート奏者達の大評判になるのである。また、1597年アルフォンソ2世が死去するとフェラーラの宮廷は解散され、多くの名音楽家が新しい活動の場を求めて移動する。アレッサンドロはじめ、ピッチニーニ一家もローマを経てボローニャに移り住むのである。
「ドイツ人のテオルボ弾き Il Tedesco della tiorba」 と、あだ名されたジョヴァンニ・ジロラモ・カプスペルガーGiovanni Girolamo Kapsperger (ca.1580〜1651) は、ドイツ貴族の両親を持ちヴェネチアで生まれた。ジョヴァンニの父が大使としてイタリアに住むようになった当時、ローマにはドイツから移住してきた商人、芸術家、楽器製作家が多く、彼らはローマ経済の重要な担い手であった。裕福なパトロンを頼って、芸術家、音楽家、詩人、科学者がローマに大勢集まってきた。ジョバンニ・カプスペルガーもローマの名家バルベリーニ家の保護のもとに、リュート&テオルボ奏者として名声を得ていた。マフェ オ・バルベリーニが教皇ウルバン8世に戴冠すると教皇庁の音楽家になり、音楽家として当時ローマでも最高職をあてがわれた。教皇庁音楽家としての20年間、カプスペルガーはリュート音楽だけでなく、声楽曲、祝典音楽の作曲、若いカストラートの教育なども担っていた。彼の作品がシスティーナ礼拝堂で演奏されたこともあったのだが、ヴァチカンの保守的な礼拝音楽家たちはカプスペルガーのミサ曲には馴染めなかったらしい。合唱隊の意図的だったのかどうか音程のまずい演奏になり、次回からすぐにパレストリーナのミサ曲に戻された、という。
「ローマきってのテオルボの達人」 (ジョヴァンニ・バッティスタ・ドーニ Giovanni Battista Doni)
「テオルボの奏法はジョバンニ・ジロラモによって遥かに進歩した」 (ヴィンチェンツォ・ジュスティ二アーニ Vincenzo Giustiniani)
「テオルボのカプスペルガーやオラツイオのハープ名技のように、対位法の作品のなかに、トリルやスラーなどの装飾、シンコペーション、トレモロ、強弱の変化などを取り入れる名人もいる。」 (ピエトロ・デッラ・ヴァッレ Pietro della Valle)
「ドイツ貴族カプスペルガーの数々の曲集は、作曲者の天才的才能と科学的な技能で、音楽の秘密に光を透き通す。
彼こそが、リュートやテオルボの演奏上、ストラシーニ、モルデンティ、グルッピ strascini, mordenti,
gruppi などすべての優雅な装飾を後世に残す達人である。」 (アタナシウス・キルヒャーAthanasius Kircher)
・・・このように当時の人々はカプスペルガーの音楽と演奏を評している。
カプスペルガーの演奏の場は、アカデミアと言われるローマの学術団体が多かった。もともと学者、芸術家、音楽家などが集まって興味を共有するのがアカデミアであったが、16世紀からは、哲学者、文学者、科学者達が、一般大衆から一線を画してエリートの学術団体をアカデミアと呼んだ。1611年に出版されたカプスベルガーの最初のリュート&キタローネ曲集の序文に、編集者フィリッポ・ニコローニ Filippo Nicoloni は「誰でも演奏するために作曲されたのではなくて、我々のアカデミアのためだけの曲集」と書いている。詩人のジャンバッティスタ・ムリーノ Giambattista Murino、明暗法絵画Chiaroscuroのカラヴァッジョや、ガリレオ・ガリレイなどが最新の発明を発表している当時のアカデミアのひとつでカプスペルガーのリュート曲集も演奏されたに違いない。
貴族としてのプライドが強かったらしいカプスペルガーは、給料は自分で取りに行かず弟子をお使いに出していた。また大盛況の演奏後の食事会に他の貴族達と同じ席につけないとわかるや否やさっさと家に帰ってしまったという記録もある。一癖も二癖もあったらしいカプスぺルガーの音楽は、やはり変わり者なのである。キタローネ曲集も実験的とも挑戦的とも言える作品集だが、リュート作品も「新しい時代」の自負に満ち満ちて個性が強い。他のどんなリュート音楽とも一線を画したカプスぺルガーの作品だが、バロックオペラなど声楽曲の世界に深く関わってみると新しい側面が見えてくる。モノディー様式の語り歌いのエッセンスが、カプスぺルガーによってリュート音楽として表現されているからである。典型的なものは何と言っても トッカータである。その名の通り、即興的な作品が多いが、カプスペルガーのトッカータは、歌詞がないにも関わらず感情やアフェット(情緒)をあたかもレチタチーヴォのように、語るがごとく表現する情熱とドラマの音楽なのである。モチーフや和声の予測不可能な展開や息も詰まるほどの不協和音、シンコペーション、例えばトッカータ1番のように突然のパッセージや不意に登場するモチーフ、まさに静と動、光と陰の対極のドラマが展開する。しかしながらこのシナリオは完成しておらず、驚きと遊び心に満ちた即興劇のようである。例えば、トッカータ2番ではメランコリーな曲に突然感情のほとばしるようなパッセージ が走り、情熱の爆発するような一瞬もある。と思えば、和声がわずかに変化するだけのトッカータ6番の冒頭の数小節には、緩やかに天上の光彩が変わるような詩の世界がある。
それに比べて、当時のいわば正統的な器楽音楽をリュートで大成しているのが、ピッチニーニの作品である。スペインやフランスの音楽も吸収していたフェラーラ宮廷の音楽レベルをそっくりリュートで著していると言えよう。自分で開発しただけあって、低音弦によるパワーも高音域の甘いメロディーもポリフォニーも奏でられるアーチリュートの表現力を存分に引き出している。リチェルカーレ1番などにみられる素晴らしい対位法の展開がその良い例である、かと思えばトッカータ20番で披露されるような高音や低音域の技巧的なパッセージなどは華々しく、即興的なパッセージも粋である。もとはスペインの変奏曲パッサカリアもピッチニーニの代表作品である。1623年にボローニャで出版されたリュート&キタローネ曲集第一集 Intavolatura di Liuto et di Chitarrone , Libro Primo , Bologna 1623 の序文は、奏法やスタイル、装飾についての詳しい記述であり、「真剣にリュートを学ぶ諸君のために」とピッチニーニが残してくれたリュート奏者への大切な文献である。アーチ リュート誕生にまつわるいきさつもここに記されている。
一時はローマで同時期に活躍したカプスベルガーとピッチニーニの作品の個性の違いには驚かされる。アフェット(情緒)を表現すると言う点では、カプスベルガーのアフェットは特に和声や不協和音で大いに表現され、ピッチニーニの場合は、使われる音型で表現していると言えるかもしれない。カプスぺルガーの音楽が声楽的な要素を多々持っているのに対して、ピッチニーニの音楽は器楽的な性格だ。
テオルボ型リュートのための作品が始めて出版されたのは、ピエトロ・パウロ・メーリ Pietro Paulo Melii (1579~1623) のリュート・アティオルバート曲集第二集 Intavolatura di Liuto Attiorbato , Libro Secondo ,Venice 1614 である。エミリア地方 出身のメーリは、1612年からウイーンの宮廷で、神聖ローマ皇帝マティアスとフェルディナンド2世に仕えた。ラウレンチヌス・ロマーヌス Laurencinus Romanusと並び 「リュートのカヴァリエッリ Cavalieri del Liuto”」と呼ばれたこともあるメーリの作品は例えられたカヴァリエッリのように「新しい様式 Seconda Prattica」の中でも少し古風でどちらかと言えば素朴である。ルネサンスリュート音楽から決別するのではなくて、改造された楽器で、音域や奏法の可能性が広がったことを素直に喜ばしく 紹介している曲集と言える。超絶技巧はないが、印象が明るい。「作者のディヴィジョン『愛よ語っておくれ』 Dimi Amore passegiato dall’ Auttore 」は「アリア・ディ・フィオレンツァ Aria di Fiorenza」 あるいは「太閤さまの舞曲 Ballo del Gran Duca」と呼ばれるルネサンス時代からの流行歌にメーリがアレンジを加えた作品。コレンテは素朴な対位法が愛らしい。メーリは第二曲集のガリアルダをモンテヴェルディに進呈したりもしている。
1620〜1640年の間にジョゼッペ・アントニオ・ドーニ Gioseppe Antonio Doniが編集したリュート曲集 Libro di Leuto はペルージャにある写本である。その写本には、「ドイツ人 Il tedesco」という名でカプスベルガーの作品も数曲含まれてお り、メーリやその地方の名手アルカンジェロ・ローリ Archangelo Lori, ジュゼッペ・バィリオーニ Giuseppe Baglione の作品も ある。特筆すべきは、おそらくドーニ の師であっただろうアンドレア・ファルコニエーリ Andrea Falconieri (1585~1656)のリュート 曲が沢山含まれていることだ。
ナポリ出身の名音楽家ファルコニエーリはアーチリュートとテオルボの名手だったと言う記録はあるが、数多くの素晴らしい室内楽や声楽作品と比べて、リュート作品に触れる機会が滅多にない。さらにドーニの写本は、序文にも記されているよ うに、単なるリュート曲集ではなくて教本として編集されているのが面白い。おそらくファルコニエーリの指導のもとに編集されたのであろうが、当時どのようにリュート弾きが音楽を学んでいったかを知る上で宝物のような写本である。沢山の作品が、 未完成のまま、あるいはスケッチの状態で描かれている。そこにムタンツァ mutanza と書かれた音型の例が続くのである。 演奏家は、スケッチ状態の作品を完成するために mutanza 例を参考に即興やアレンジを施して1曲を仕上げるのである。作品が演奏家の手によって完成される、バロック音楽の即興の醍醐味である。この手法で、今回「ファルコニエーリのコレンテ Corrente del Falconieri」や「チャコーナ Ceccone」は演奏家が独自の作品にあつらえさせて頂いた。ファルコニエーリの作品として最も広く愛されている「甘美なメロディーLa Suave Melodia」 はもともとメロディー楽器と通奏低音の為の曲であるが、これまたリュート用にアレンジした。
この写本を読み進めていくと、カプスベルガーやピッチニーニなど巨匠の作品だけでなく、実際演奏されていたのであろう 17世紀初頭イタリアの響きが聞こえてくるようだ。例えば、作者不詳の短いトッカータの冒頭は、モンテヴェルディのオペラ、 「オルフェオ L‘Orfeo」の中に登場するハープソロのリトルネッロの冒頭と同じである。当時の人は、もしかするとこのテーマを聞いただけで、オルフェオを思い浮かべたかもしれない。あるいは、偉大な作曲家の手によって輝くメロディーも、もとは街でローカルな演奏家が奏でていたモチーフだったかもしれない。「アルカンジェロの即興的なトッカータ Toccata del Sr. Arcang elo」も、アーチリュートの音域の両端まで使った逸品である。
それにしても、17世紀のリュートのトッカータの1小節目は、なぜその調性の紹介のようにただ和音が書いてあるのだろうか? もちろん、そこにこそ演奏家の即興が許され、輝かしいパッセージやアルペジオの展開を試みることができる。今回ドーニの写本を読み深めているうちに、作者不詳のトッカータのようにこの冒頭にその曲にふさわしいアフェット(情緒)をトッカータの冒頭にインプットしてみたい、と思いついた。バロックオペラの演奏には欠かせないつなぎである。例えば、カプスペルガーのトッカータ5番は曲が一体どこに向かって進むのか難解で哲学的な印象すら受ける。古代ローマ最高の哲学者セネカなら、このアフェットを解ってくれるだろうか、と、モンテヴェルディのオペラ「ポペアの戴冠 L‘Incoronazione di Poppea」から、セネカの最後の一節を使わせて頂いた。ピッチニーニのトッカータ20番の音型は、愛しい人を探し求めて地獄にまで行こうと するオルフェオの歌のようだ。エウリディーチェを失った悲しい小前奏を、これまたモンテヴェルディの「オルフェオ」第2幕から奏でてみることにした。小さな前奏曲 Introducione にどんなアフェットがふさわしいかは実に個人的な解釈になるが、リュート作品を当時の響きの中に想像する実に楽しい試みになった。
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それぞれ個性的な名作品であるが、音楽スタイルの新時代、楽器の移行期に当たる発明、変革、チャレンジの時代の作風、同時にどんなにスタイルが変わっても愛されてやまなかったリュートの響きをお楽しみいただければ幸いである。
アンコール
たくさんの拍手をいただきましたので、レスピーギ「リュートのための古風な舞曲」をお届けします。
、
ありがとうございました。
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