これまでの演奏会へ戻る
NEW!!
山手西洋館コンサートシリーズ
洋館で親しむ
〜 チェンバロの潮流 〜
“洋館で親しむバロック音楽”シリーズ 第10回コンサート
2010年4月24日(土) 午後2時開演
山手111番館(横浜市指定文化財)
主催:(財)
企画・協力:アンサンブル山手バロッコ
(財)
アンサンブル山手バロッコ ホームページ:http://www.geocities.co.jp/yamatebarocco
出演:
野口詩歩梨 (チェンバロ):
福井県生れ。桐朋学園大学古楽器科卒業、同研究科修了。ピアノを伊原道代、雨田信子、チェンバロを故鍋島元子、又アンサンブルを有田正広、本間正史、中野哲也の各氏に師事。その後クイケン兄弟、モルテンセン氏などの指導を受ける。現在東京を中心に通奏低音奏者、ソリストとして幅広く活動。これまでにもフルートのM.ラリュー、F.アーヨ、中野哲也など数々の音楽家や室内オーケストラと共演。2000年、2002年、2004年「音の輝きをもとめて」と題したソロリサイタルを開催、各方面より好評を得る。古楽情報誌アントレ製作ビデオ等に出演。山手西洋館では、ソロリサイタルの他、ソプラノの木島千夏氏、アンサンブル山手バロッコと共演。横浜市在住。
洋館で親しむ
〜 チェンバロの潮流 〜
プログラム
山手111番館は、広い芝生を前庭とし、ローズガーデンを見下ろす住宅として大正15(1926)年に建てられました。設計者はJ.H.モーガン。彼は横浜を中心に数多くの作品を残していますが、山手111番館は彼の代表作の一つです。2階まで吹き抜けになったホールが特長です。本日はチェンバロ奏者の野口詩歩梨さんに登場いただき、バロック音楽の真髄を感じさせる輝きのある曲とその時代・地域を通じての流れをお聴きいただきます。野口さんは、秋にはソロCDをリリース予定で、その収録曲も弾いていただけるとうかがっています。最後まで、ごゆっくりお楽しみください。
J.S.バッハ / イタリア協奏曲 へ長調 BWV971
J. S. Bach / Italienisches Konzert F-dur BWV 971
(-) / Andante / Presto
L.クープラン 組曲
イ短調
L.Couperin / Pièces de clavecin la mineur
Prélude à l'imitation de Mr. Froberger(フローベルガー氏を模したプレリュード) / Allemande / Courante
La Mignone (クーラント 可愛いお嬢さん)/ Sarabande /La
Piémontoise(ピエモンテ人)
J.S.バッハ / フランス組曲 第6番 ホ長調 BWV817
J. S. Bach / Französische Suiten Nr.6, E-Dur BWV817
Allemande / Courante / Sarabande / Gavotte / Polonaise /
Menuet / Bourree / Gigue
C.P.E.バッハ チェンバロ・ソナタ ニ短調 Wq.51. No.4
C.Ph.E. Bach / Sonate d-moll Wq.51-4
Allegro assai / Largo e sostenuto / Presto
J.S.バッハ プレリュード、フーガとアレグロ 変ホ長調 BWV998
J. S. Bach / Präludium, Fuge und Allegro Es-dur BWV998
♪♪♪♪♪
アンコールは シャンボニエールのトンボーでした。ありがとうございました。
プログラム・ノート
ルイ・クープランは、1626年生まれのフランスの作曲家・鍵盤楽器奏者です。フランスのバロック時代の作曲家を代表するフランソワ・クープラン(1668〜1733)の伯父にあたり、音楽家を輩出した「クープラン一族」の中でも有名な作曲家です。バロック時代に様々な展開がされたチェンバロ音楽ですが、フランスではリュート(洋梨を半分に切ったような形をした撥弦楽器)を中心に発達した組曲(プレリュードに続き、舞曲をいくつか組み合わせた曲)が、徐々に「鍵盤のついたリュート」とも称されたチェンバロで演奏されるようになり、鍵盤楽器独自の語法を加えて発展しました。リュートの演奏で愛された、プレリュード・ノン・ムジュレ(すべて全音符で書かれた小節線のない前秦曲で即興的な要素を残している)や、装飾音が重要な役割を果たすようになりました。本日演奏するイ短調の組曲は5つの楽章から構成されています。最初のプレリュードは、同時代のドイツの鍵盤楽器の名手・作曲家のフローベルガーの様式を模したもので、自由で即興的な雰囲気をたたえる曲ですが、フローベルガー自身もドイツのリュート音楽からの影響を受けており、この時代のチェンバロ曲を取り巻く事情が想像できます。アルマンド、クーラント、サラバンドはそれぞれ組曲の定番で用いられる舞曲で、最後はピエモンテ人という表題のつけられた2拍子の活発な舞曲で締めくくります。
バッハは、1685年生まれのドイツの作曲家です。現在では、バロック音楽で最高の作曲家として、また「音楽の父」と呼ばれるように、西洋音楽の原点となる偉大な作曲家として知られていますが、当時は、パイプオルガンやチェンバロなどの鍵盤楽器の名手として、その名がヨーロッパ中に知れ渡っていました。バッハは、クープランの一族と並んで後世に研究され・讃えられるほど、代々音楽家を輩出した家系に生まれ、幼い時から、パイプオルガン、チェンバロの鍵盤楽器に優れた腕前を発揮しました。近隣の教会のオルガニスト、宮廷の音楽家などにはバッハの一族が名前を連ねていましたし、親戚で集まると宴会と音楽会をあわせたような楽しみも多く開かれていましたので、生まれながらにして音楽に親しみ、その手ほどきを受け成長したのだと思います。バッハは、2度の結婚で20人の子供に恵まれましたが、成人した息子は5人全員が音楽家になり、本日演奏する次男のカール・フィリップ・エマニュエルを含め、次の世代の重要な作曲家を育てました。バッハは、友人に宛てた手紙で「我が家の子供は生まれながらの音楽家なのです」と誇らしげに書いているように、子供を含む師弟の音楽教育にも力を注ぎ、家庭での音楽会も盛んに行っていたようです。
このようなに音楽に溢れる環境の中、長男ヴィルヘルム・フリーデマンの教育のために、クラヴィーア小曲集という音楽帳が1720年ころから作成されました。1722年には、今日6曲のセットで知られるフランス組曲の第1曲から第5曲が追加されました。組曲は先に述べたようにフランスで発展した舞曲を組み合わせた楽曲で、ゆっくりと整然としたアルマンド、軽快に走るようなクーラント、荘重なサラバンド、そして躍動感のあるジーグの4つの舞曲が定番として並べられ、それにいくつかの流行の舞曲を組み合わせるのが当時のお決まりでした。第6番は、音楽帳には書き込まれていませんので、少し後の作曲と考えられています。ホ長調という、明るく・はじける様な曲想と高いテクニックの要求があり、流行の舞曲が4曲も入っていますので、成長した息子のために提供したショーピース的な曲ではないかと考えられます。
バッハ家には家族と師弟だけでなく、高名なバッハとの親交を求め、ヨーロッパ各地の名演奏家も頻繁に訪れており、その機会に作られた作品も残されています。リュートのドイツにおける最大の名手ヴァイス(1687〜1750)は、ライプツィヒのバッハ家をたびたび訪問し、「とびきり優雅な音楽会」を催したといわれています。そのような親交の結果、バッハからヴァイスに贈られたのではないかといわれているのがプレリュード、フーガとアレグロで、自筆譜には「リュートまたはチェンバロのためのプレリュード」と記されています。リュートを爪弾くような分散和音が印象的なプレリュードで始まり、自由な形式の4声のフーガが続きます。最後のアレグロでは組曲を締めくくるのに使われる舞曲(ジーグ)の味わいをもって広い音域を駆け巡り、この友情の曲が締めくくられます。
これまで紹介した曲は、舞曲を中心にいくつかの曲を組み合わせたフランスに起源をもつ組曲ですが、バロック時代に栄えたもうひとつのジャンルである協奏曲は、イタリアを起源としソロの輝きとオーケストラとの強弱の対比などダイナミックな曲想で組曲と同様に、欧州に広く流行しました。バッハは、若い時期にヴィヴァルディのオーケストラの合奏協奏曲を、チェンバロやオルガン独奏に編曲し、仕える宮廷の音楽好きの殿様に供しました。後年、1735年にバッハは、クラヴィーア練習曲集としてチェンバロ独奏のための協奏曲を作曲し、出版しました。今日イタリア協奏曲として知られるこの曲のもともとの表題はバッハ自身によりつけられた「イタリア趣味による協奏曲」というものでした。この曲は若いころに学び、またブランデンブルク協奏曲やヴァイオリン協奏曲などで磨き上げた協奏曲の原理を、1台のチェンバロの上に実現したものです。この曲は編曲ではなく、チェンバロを念頭に作曲されたため、オーケストラの協奏曲では実現しない、大きなうねりのある対位法の原理を協奏曲の原理と融合するという、いわば「イタリアの太陽の輝きとドイツの深い森の味わいを掛け合わせた」新たな試みをした曲でもあります。この曲は、当時も大きな評判になり、バッハを時代遅れとひどく非難していた若い世代の批評家シャイベでさえ「1つの楽器での協奏曲の鏡である」と称えるほどでした。構成はヴィヴァルディの協奏曲の原理に則った、はやい・ゆっくり・はやい、の3楽章から成っており、2段鍵盤のチェンバロでフォルテ(合奏)とピアノ(独奏)を巧みに弾き分けるように作られています。
カール・フィリップ・エマニュエル・バッハは、バッハの次男として1714年に生まれ、次の古典派への架け橋となった重要な音楽家です。1753年に出版した「正しいクラヴィーア奏法への試論」は、父親より学び、自らの時代に適応させた鍵盤楽器の演奏法の教本で、彼自身の作曲・出版した鍵盤曲集とともに、ハイドン、ベートーヴェンなどの学び・賞賛するところになりました。本日演奏するソナタ ニ短調は、1761年に出版された曲集に収められたもので、組曲、協奏曲というバロック時代の様式でなく、ハイドン、モーツァルトにつながり発展するソナタと名づけられている点が、エマニュエルからみると祖父の世代にあたるクープランや父バッハとは異なる新しい世代に属することを象徴的に表しています。3つの楽章からなるこのニ短調のソナタは、どの楽章も多感様式と呼ばれる様式で書かれています。多感様式は、旋律と伴奏の明確な切り分け、大胆な和音、大きな音の跳躍や急な休止など気分がたびたび変化する特徴を持っています。エマニュエルは父親から受け継いだバロックの語法を消化したうえで、新たな独自な世界をつくり、父親を乗り越えたかったのでしょうか?
最後に楽器について。チェンバロは、弦をはじいて音を出す鍵盤楽器で、鍵盤を押すと、鳥の羽軸でできた爪が金属弦をはじいて発音します。本日のチェンバロには2つの鍵盤に対して、3本の弦が張られています。そのうち、2本の弦は同じ高さの音が、もう1本はそれより1オクターブ高い音が出るようになっています。鍵盤を押し込むことで、下の鍵盤では2本の弦を同時に鳴らしたり(音は大きくなる)、上の鍵盤では1本の弦を鳴らしたり(音は小さくなる)することも出来ます。また、楽器は耳だけでなく目も楽しませることが理想とされ、脚や蓋にはフランスの宮廷に見られるような装飾が施されています。
(詳細はhttp://www.geocities.jp/yamatebarocco/cembalo.htmlを参照ください。)
(アンサンブル山手バロッコ 曽禰寛純)
これまでの演奏会へ戻る