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木島千夏ソプラノコンサート Vol.18
洋館で楽しむバロック音楽 第120回
イタリアバロック
〜アリアとデュエットの愉しみ〜
Arias
and Duets of Italian Baroque
2022年8月14日(日)14時/16時30分 開演 横浜市イギリス館
14:00/16:30 14th August, 2022 at British House Yokohama
主催:アンサンブル山手バロッコ
出演:
木島 千夏(ソプラノ)
©星合隆広
国立音楽大学在学中に古楽に出会い、卒業後バロックのオペラを初め様々なコンサート活動を経験した後、ロンドンに留学。第30回ブルージュ国際古楽コンクールにて4位入賞。ヨーロッパ各地で音楽祭や演奏会に出演し経験を積む。帰国後はバロックを専門にソリストとして活躍。古楽ユニット「ひとときの音楽」シリーズや横浜山手の洋館でのリサイタルを毎年開催し、身近で楽しめる独自のコンサート作りを続けている。
「カペラ・グレゴリアーナ ファヴォリート」メンバーとしてヴァーツ国際グレゴリオ聖歌フェスティバルに出演。アンサンブル・レニブス、アンサンブルDDメンバー。聖グレゴリオの家教会音楽科講師。
曽禰 愛子(メゾソプラノ)
鹿児島国際大学短期大学部音楽科、同専攻科卒業。洗足学園音楽大学大学院 音楽研究科修了。第32回国際古楽コンクール〈山梨〉ファイナリスト。スイス・バーゼル・スコラ・カントルムにてBachelor及びMasterを修了。幅広い時代の作品をレパートリーとし、ソリストおよび声楽アンサンブルメンバーとして活動しており、ヨーロッパ各地でのコンサートに参加。声楽を川上勝功、ウーヴェ・ハイルマン、ゲルト・テュルク、ローザ・ドミンゲスの各氏に師事。
寺村 朋子 (チェンバロ)
東京芸術大学チェンバロ科卒業。同大学大学院修士課程修了。チェンバロと通奏低音を山田貢、鈴木雅明の両氏に師事。第7回国際古楽コンクール<山梨>チェンバロ部門にて第2位入賞。シエナ、ウルビーノ、インスブルック、アントワープなど国内外の講習会を受講し研鑽を積む。NHK「FMリサイタル」に出演。マスタークラスの伴奏やバロックダンスとのアンサンブルなど、様々な団体の通奏低音奏者、またはソリストとして活動。トリム楽譜出版より「フルート・バロックソナタ集」、「J.S.バッハ作品集」(増刷)を編曲、出版。ソロCD「お気に召すままCapriccio」(レコード芸術準推薦)リリース。小金井アネックス(宮地楽器)チェンバロ科講師。日本チェンバロ協会会員。現在YouTubeチャンネル「Cembaloチェンバロう!」を開設し演奏動画を配信中。
イタリアバロック
〜アリアとデュエットの愉しみ〜
Arias
and Duets of Italian Baroque
プ ロ グ ラ ム
(プログラムノート:木島千夏/寺村朋子/曽禰愛子)
横浜市イギリス館は、1937年に英国総領事公邸として建設された由緒ある建物です。広々としたテラスで芝生の庭につながっているイギリス館の素晴らしい客間の雰囲気の中で、歌手2人とチェンバロのアンサンブルの響きで、イタリアのバロック時代の宗教的・世俗的な変化に富んだ音楽を、お楽しみいただきます。
♪ ♪ ♪
G.カッチーニ:愛の神よ、何を待っているのですか
G.Caccini(1545-1618): Amor, ch’attendi
ジュリオ・カッチーニ(1545-1618)はローマ近郊で生まれ、フィレンツェで宮廷音楽家、歌手となり、イタリア各地で活躍した作曲家です。15世紀末ごろまでの声楽作品は、多声部が同時に歌われるポリフォニーと呼ばれる様式が一般的でしたが、カッチーニの活躍した16世紀末ごろには、独唱に伴奏楽器を伴った新しいモノディ様式というスタイルが広まり評判になっていました。カッチーニはそんなモノディ様式の代表的な作曲家であり、彼の出版した曲集及び教則本はその後の多くのバロック音楽の様式に影響を与えました。
愛の神よ、何を待っているのですか?
愛の神よ、何をしているのですか?
さあ なぜ今その矢を取らないのですか。
愛の神よ、復讐せよ!
愛の神よ、あなたの矢を射て、
その傲慢な心、あなたの王国を軽んじる高慢な心を。
C.モンテヴェルディ:恋文
C.Monteverdi(1567-1643): Lettera
amorosa
もし私のため息や眼差しがあなたに私の愛の炎を伝えることができていなかったのなら、
この文を読んで信じてください、インクから滲み出る私の心を、愛の軌跡を。
私はすっかりあなたの美しさの虜です。
美しい金色の髪、金の罠、そこからどうやって逃れることが出来るでしょう。
豊かな髪は金の森、愛の神はあなたの中に迷路を作り私の心を閉じ込めてしまいました。
美しい金の雨よ、雲から時解かれて下り、波となって打ち寄せ、岩をも洗う、
美しい愛の嵐の中で私の心は燃え上がります。
でも、ペンと別れる時が来ました。さあ行きなさい、美しい胸へと。
雪の小道を通って火の心に達することは絶対ないと誰が言えるでしょうか。
C.モンテヴェルディ:主に向かって歌え
C.Monteverdi: Cantate Domino
主に向かって歌え
新しい歌を主に向かって歌え。
主は驚くべき御業を成し遂げられた。
右の御手、聖なる御腕によって
主は救いの御業を果たされた。
主は救いを示し
恵みの御業を諸国の民の目に現した。
全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。
歓声をあげ、喜び歌い、ほめ歌え。
(聖書:新共同訳 詩篇98より)
クラウディオ・モンテヴェルディ (1567-1643)は、イタリアのクレモナに生まれ、早熟の天才であったモンテヴェルディは15歳のときに早くもモテットを出版し、1590年にはクレモナを離れてマントヴァの宮廷に仕え、1602年には宮廷楽長となりました。特にマドリガーレと呼ばれる形式の声楽作品を継続的に作曲し、1600年ごろには作曲家としての評価を確立して、40歳までに9巻もの曲集を出版しています。その後1613年にはヴェネツィアのサン・マルコ寺院の楽長に任命されて、様々なマドリガーレの傑作を生み出し続けました。
その一方でオペラの作曲も行ったモンテヴェルディは、1607年にオペラの最初期の作品のひとつである『オルフェオ』を初演し、また晩年にも2曲の傑作とされる『ウリッセの帰還』(1641年)『ポッペアの戴冠』(1642年)を作曲しています。
A.スカルラッティ:セレナータ「哀れなわが想い」
A.Scarlatti(1660-1725): Serenata “Sventurati miei sospiri”
イタリアのパレルモで音楽一族の家系に生まれたアレッサンドロ・スカルラッティ (1660-1725)は、早くから音楽教育を受けたと考えられており、12歳のときに2人の妹と共にローマに送られました。1678年にローマ人と結婚し7人の男の子と3人の女の子を授かりますが、成人したのは5人で、その中には後に有名な音楽家に成長するドメニコ(スカルラッティ)がいます。アレッサンドロ自身はオペラとカンタータの作曲家として活躍し、いくつかの地を経て1725年にナポリにて没しました。18世紀にパリ・ロンドンに次いで3番目に大きな都市であったと言われるナポリでは当時次々と歌劇場が建設されており、そのような背景でオペラを作っていたアレッサンドロは、オペラの形式に大きな足跡を残したナポリ楽派の始祖と考えられています。
哀れなわが想い
哀れなわが想いよ、勇敢にもどこへ飛んでいこうというのか?
安らぎを得られると思うのだったらそれは心を騙している、愛の天はあまりにも高い。
私を燃え上がらせる炎よ、愛に苦しんでいることを憧れのあの人に語っておくれ。
でも私の心の炎に何を望むことが出来るだろう?火花は炎にしかならない。
ああ天よ、誰が私を港に繋ぎ止めるのか、誰が私の人生を断ち、私を殺すのか?
心震える恐れが私の心を殺す。
黙しても、語っても、憐れみを望むことはできない。
残酷な運命よ、私にこれ以上何を望むのか?
痛みがあまりにも多いので、死んでしまった方がいい。
D.スカルラッティ:フーガとソナタ K.30&96
D.Scarlatti(1685-1757): Fuga and Sonata for
cembalo solo K.30&96
先述の通りアレッサンドロ・スカルラッティの子供としてナポリで生まれたドメニコ・スカルラッティ (1685-1757)は、1701年にナポリの教会付き作曲家兼オルガン奏者に就任しました。その後1719年にはポルトガル王ジョアン5世に王室礼拝堂の音楽監督に任命され、リスボンに移り住みます。そこでは礼拝堂のための音楽活動のほか、王の兄弟であるドン・アフォンソと王女マリア・マグダレーナ・バルバラに音楽を教えていました。1729年には王女がスペイン王家の王太子フェルナンドに嫁いだため、ドメニコもこれに同行しスペイン・マドリードへ移りました。王女の教育用に多数の鍵盤楽曲を作曲し、1738年に最初のソナタ集であるEssercizi per gravicembalo(チェンバロ練習曲集、30曲)を出版し、これによって彼の名声はヨーロッパ中に広まりました。その後王女はスペイン王妃となり、ドメニコは1757年にマドリードで亡くなるまでスペインでの活動を続けました。
チェンバロ独奏でおきかせする2曲について。「フーガ(k.30)」は、作曲家がこの世を去った後、W.H.コールコット編の楽譜の表紙に猫が4匹描かれていたことから、19世紀になって「猫のフーガ」と呼ばれるようになりました。「ソナタ(k.96)」は、森での狩のホルンのような響きで始まる軽快なリズムが印象的な楽しい作品です。
D.スカルラッティ:サルヴェ・レジーナ
D.Scarlatti: Salve Regina
サルヴェ・レジーナ
元后、あわれみの母、われらのいのち、喜び、希望。
旅路からあなたに叫ぶエバの子、
嘆きながら、泣きながらも、
涙の谷にあなたを慕う。
われらのためにとりなす方、あわれみの目をわれらに注ぎ、
尊いあなたの子イエスを旅路の果てに示してください。
おお、いつくしみ、恵みあふれる、喜びのおとめマリア。
(カトリック中央協議会「日々の祈り 改訂版第二版」より)
C.モンテヴェルディ:
「さらばローマよ」「ずっとあなたを見て あなたと楽しみ」 (歌劇『ポッペアの戴冠』より)
C.Monteverdi: “A Dio Roma” “Pur ti miro, Pur ti
godo” (from 《L’incoronazione di Poppea》)
『ポッペアの戴冠』あらすじ:
ローマ皇帝ネローネは、将軍の妻であるポッペアと浮気をしており、彼女と結婚しようと考えます。そこで邪魔な存在だった哲学者のセネカを自殺させ、妻であり皇后のオッターヴィアを国外に追放。ポッペアもそれに加担します。最後にはポッペアが皇后の座を奪い取り、ネローネとポッペアの愛の二重唱でオペラが終わります。ローマ皇帝ネローネは一般的には“ネロ”と呼ばれ、暴君として知られている、西暦37年から68年を生きた実在の人物です。政略結婚で結ばれた妻・オッターヴィア(クラウディア・オクタウィア)と別れ、周囲の反対者を排除してポッペア(ポッパエア・サビナ)を皇后とする、という話も全て史実に基づいたストーリーとなっています。
さらばローマよ
さらばローマよ、懐かしの国と人々よ。
潔白であるがゆえに、私は去らねばならない。
苦き悲しみを携え、私は行く。
絶望のうちに、待つ者のいない海の彼方へ。
刻一刻と、私の吐息はこの大気に混じり、私の心の名のもと、
懐かしい街の城壁を眺め、そして口づける。
私はたった一人で、過去の思い出にさすらい、そして涙しながら、冷たい岩に哀れを語る。
ああ、無慈悲なる者たちよ、私を見て、そして祈ってほしい。
どれほど遠く、あの恋しい岸辺から遠ざかってしまったか!
ああ、悲しみという名の不敬の輩よ、祖国を追われ行く私に、お前は涙を流すのも禁じるのか。
私の友、家族、ローマにこう告げるまで、私は涙を流せない。
さようなら、と。
ずっとあなたを見て あなたと楽しみ
ずっとあなたを見て、あなたと楽しみ
あなたを抱き、あなたと結び合う。
もう悲しみも、死さえも存在しない。
私はあなたのもの、あなたは私のもの。
私の希望よ、伝えて欲しい、
あなたこそが私の、まことの愛のしるしであると。
そう、私の愛であり、心であり、命なのだと
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