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山手洋館コンサート

 

木島千夏ソプラノコンサート Vol.5

洋館で楽しむ「ひとときの音楽」

〜海・港・バロック〜

2008914日(日)18:30開演(1800開場)

山手ベーリックホール(元町公園内) 

主催: (財)横浜市緑の協会/山手ベーリックホール  

http://www.hama-midorinokyokai.or.jp

協力: アンサンブル山手バロッコ 

 

出演:

木島千夏(ソプラノ):

国立音楽大学卒業後、同大学音楽研究所の研究員として、バロック歌唱の研究と演奏活動に従事し、数々のバロックオペラやコンサ−トに出演。川口絹代、橋本周子に師事。92年英国へ留学し、J.キャッシュに声楽を師事、ギルドホール音楽院にてE.カークビー、D.ロブロウ、 N.ノースのレッスンを受ける。第30回ブルージュ国際古楽コンクールにて4位入賞。翌年同音楽祭に招待され、モーツァルトの「聖墓の音楽」のソロ等を歌う。W.Christie指揮によるシャルパンティエのオペラ公演「ダヴィデとヨナタン」に参加、ロンドンと日本各地でリュートのN.ノースとデュオ・リサイタルを行った他、ヨーロッパ各地で音楽祭や演奏会、ラジオに出演。帰国後は、バロックを専門にグレゴリオ聖歌から現代曲まで幅広いレパートリーに取り組みソリストまたはアンサンブルで活躍している。

現在、聖グレゴリオの家教会音楽科講師。

 

大坪由香(リコーダー) 

桐朋学園大学古楽器科(リコーダー専攻)卒業、同大学研究科修了。オランダのデン・ハーグ王立音楽院古楽科をサーティフィケートを得て修了後、アムステルダム古楽アカデミーにて学ぶ。帰国後、福岡・熊本・長崎・東京でリサイタルを行う。2006~2007年、文化庁新進芸術家海外留学制度研修員としてオランダのユトレヒトへ再留学。現在福岡を拠点に、各地でソロ・室内楽の演奏及び教授活動を行っている。
リコーダーを花岡和生、R.カンジ、J.v.ヴィンガーデン、H.テル.スケヘットの各氏に師事。またW.v.ハウヴェ、K.ブッケ、M.フェルブリュッヘン、D.ブリュッヘン、C.シュタインマン、H.M.リンデ、H.M.クナイスの各氏にレッスンを受ける。1999年、アクロス福岡主催の”古楽器展”のセミナー講師を務める。2000年及び2004年度福岡教育大学非常勤講師。2005年度福岡音楽学院非常勤講師。古楽ユニット「ひとときの音楽」「ザ・リハーサル・バンド」メンバー。”西南学院リコーダーフェスティヴァル”音楽監督。

 

大坪由香(リコーダー) 

福岡市に生まれる。福岡女学院高校音楽科、愛知県立芸術大学音楽学部および大学院(ピアノ科)を経て、桐朋学園大学研究科(古楽器科)修了。1991年、Southeastern Historical Keyboard Society(USA)主催のチェンバロコンクールにて第1位を受賞。'93年、アメリカ議会図書館のコンサートシリーズに出演。同年第7回<古楽コンクール山梨>にて第3位を受賞。現在まで東京を中心に各地でソリスト、通奏低音奏者として教会、サロンコンサート、子供のためのコンサートの他アンサンブル活動及び指導を意欲的に行なってきた。 '94年、'98年、2000年にチェンバロリサイタルを開催。2002年2月にNHK-FM「名曲リサイタル」に出演。また'99年からはポジティブオルガン(小型のパイプオルガン)によるソロコンサートに取り組んでおり、2000年のコンサートはNHK-FM「朝のバロック」で放送された。他、ジャズピアノ、長唄三味線などとの共演、ピアソラ作品、カントリーバンドへの参加など「音楽表現は普遍的なもの」というコンセプトに基づき、ジャンルにとらわれない活動を展開している。

 94年より’06年まで国立音楽大学非常勤講師を務める。‘98年以来度々演奏で訪れていた函館に’06年より本拠を移して活動を始める。'076月、函館で制作のCD「バッハ インヴェンションとシンフォニア」をリリース。公民館マチネ運営委員。ハコケン(函館鍵盤楽器研究会)メンバー。

 


 

洋館で楽しむ「ひとときの音楽」

〜海・港・バロック〜

 

プログラム

 

5回目のコンサートは、昨年に引き続き、山手の洋館では、一番大きなベーリックホールで行われました。ベーリックホールは、昭和の初期にJ.H.モーガンの設計によりに建てられたイギリス人貿易商・ベリック氏の邸宅だったもので、山手地区の中でもっとも古い洋館(横浜市認定歴史的建造物)です。日本の開国の地、横浜は、来年開港150周年を迎えますので、この横浜の西洋館で「海・港」にちなんだバロック音楽を満員の一緒に楽しみたました。共演は、バロック時代に愛されたリコーダー(大坪由香さん)、チェンバロ(森洋子さん)、木島さんと一緒にユニット「ひとときの音楽」を結成し、長く国内外で活動を続けておられます。古楽器の素朴で優雅な調べとともに、当時の雰囲気を味わいながら、また、お客さまのリクエストに応えるプログラム構成も盛り上がり、沢山のアリア、アンサンブルを味わいました。

 

 

プ ロ グ ラ ム

 

G.F.ヘンデル / きらきら揺れ動く波の輝きは

Georg Friedrich Handel / Das Zitternde Glünzen der spielenden Wellen  HWV203

ヘンデル(16851759)はバッハと並ぶバロック時代の大作曲家として知られていますが、名を成したのは、アリアの作曲家としてでした。ヘンデルは、生涯で実に2000曲以上のアリアを作曲し、情感豊かで味わい深くかつエネルギッシュなアリアをつくる名人として知れ渡っていました。       

1720年代後半にドイツの詩人ブロッケスの詩に、きらきら揺れ動く波の輝きは、をはじめとする、オブリガード楽器と通奏低音を伴奏とする9つのドイツアリアを作曲しました。中庸を尊び、ドイツ語の詩の構造や韻や宗教的な意味を深く味わう趣で作曲されたもので、その宗教的な内容は、後年のオラトリオの創作を暗示するようにも思えます。

 

J.ファン・エイク / シレーナ

Jacob van Eyck / Questa dolce Sirena

ファン・エイク(1590-1657)はオランダ生まれの盲目のカリオン※奏者ですが、リコーダー演奏にも優れ、当時の流行していた旋律をもとにリコーダー独奏のための変奏曲を多く作曲し、街頭での演奏を行い大いに評判になりました。シレーナは、エイクの有名なリコーダー曲集「笛の楽園」に収められている曲で、シレーナとはイタリア語で人魚を表します。(※:鍵盤で演奏する教会の鐘)

 

G. フレスコバルディ / 金色に輝く小舟に乗って

Girolamo Frescobaldi / Entro nave dorata

 

フレスコバルディ(15831643) はイタリア北方のフェラーラで生まれ、オルガンを修め、ローマの教会や宮廷のオルガニストとして活躍しました。主にチェンバロやオルガンのバロック音楽における作曲や演奏技法の基礎を作った人で、沢山の作品を残し、フランス、ドイツなど欧州に広くその技法は展開され、バッハもその影響を受けていると言われています。その影で目立ちませんが、世俗・宗教的な声楽曲にも重要な作品を提供しており、金色に輝く小舟に乗っては、1630年に出版された世俗歌曲集の中の一曲です。恋人の航海を案じているフィッリのことを歌う内容です。

 

B.ストラーチェ / パッサカリア

Bernardo Storace / Passacagli

 

ストラーチェ (16371707)は、イタリアの作曲家、鍵盤楽器奏者でチェンバロやオルガンの作品を残していますが、その生涯についてはほとんど分かっていません。パッサカリアは、3拍子の舞曲で、繰り返し演奏される低音の上で、一種の変奏曲として様々な旋律や装飾が披露されます。

 

 

A.ヴィヴァルディ / 海の嵐

Antonio Vivaldi / La tempesta di mare

Allegro Largo Presto

 

イタリア生まれのヴァイオリンの名手、作曲家のヴィヴァルディ(16781741)は、協奏曲「四季」で有名ですが、様々な楽器のための協奏曲を多数作曲したことでも有名です。中でも、世界で初めてフルート独奏のための協奏曲集(作品10)を1730年頃に出版したことでも知られています。この海の嵐は、曲集の巻頭を飾る曲で、3つの楽章が、海の嵐の激しさや、嵐の過ぎ去った静けさなどを表現しています。

 

 

H.パーセル / オペラ『ダイドーとエネアス』より

「さあ来い、仲間たちよ、錨が上がる」

「このさびしい山をよく訪れ」

「おまえの手を、ベリンダ、闇が私を覆う」

Henry Purcell / DIDO AND AENEAS

"Come away, fellow sailors, come away"

"Oft she visits this lone mountain"

"Thy hand, Belinda, darkness shades me"

 

パーセル(16591695)は、イギリス音楽史上最大の作曲家、宮廷楽団の作曲家、ウエストミンスター寺院や王室礼拝堂のオルガニストを歴任し、王室向けの追悼音楽や祝典音楽も作曲し、まさにイギリス音楽界の重要な地位を獲得しましたが、働き盛りの30代半ばで夭折しました。オペラ『ダイドーとエネアス』は、1689年に初演されたパーセル唯一のオペラで、古代ローマの話に基づいています。カルタゴの女王ダイドーはトロイの王子エネアスと激しい恋に落ちるが、魔女の企みによって、偽の神の命令を信じたエネアスはダイドーのもとを去りローマを建設し、ダイドーは悲しみのあまり自ら命を絶つという悲劇の物語です。

「さあ来い、仲間たちよ、錨が上がる」はエネアスの船出を前に活気のある港の情景を歌う水夫のアリアです。次の、「このさびしい山をよく訪れ」は、第2幕の狩の場面で歌われます。最後の「おまえの手を、ベリンダ、闇が私を覆う」は、オペラの最後で、悲しみを胸に秘めつつ、断固としてエネアスを旅立たせたダイドーが、侍女ベリンダを傍らにおいて歌う哀歌です。繰り返される悲しみの低音の上で、情感豊かに歌われるもので、全編で最も感動的かつ有名な曲です。

 

J.S.バッハ / 「インヴェンションとシンフォニア」より

Johann Sebastian Bach / Inventionen und Sinfonien

バッハ(16851750)は、バロックの最後を飾る最大の音楽家でオペラを除くあらゆるジャンルの名曲を残しています。インヴェンションとシンフォニアは良くご存知のチェンバロ曲だと思いますが、バッハはおそらく自分の息子や弟子に、鍵盤楽器の演奏と優れた作曲の技法を教えるために作曲したもので、300年も経った現在でもバッハの意図通り、鍵盤楽器やバロック音楽演奏をするものは必ず学ぶ曲集になっています。

 

 

J.S.バッハ / カンタータ209番 「悲しみのいかなるかを知らず」より

アリア「困難と不安を乗り越え」

Johann Sebastian Bach / Kantate  Nr.209  Non sa che sia dolore BWV209                                              

 " Ricetti gramezza e pavento"

バッハはライプチッヒの教会音楽監督としてマタイ受難曲などの教会音楽の名曲を泉のように生み出しましたが、同時に、当時流行の社交場であるコーヒーハウスでのコンサートのために世俗的な曲を作曲し演奏しました。悲しみのいかなるかを知らずは、友人の旅立ちを歌ったカンタータですが、当時最先端のイタリア風の軽いアリアを組み込んでいるのが特徴です。このアリア 困難と不安を乗り越えは、カンタータの最後で友人の旅立ちを、嵐の後の船出に喩えて歌う舞曲風の楽しい曲です。

 

アンコール 

パーセル/メアリー女王のオードより「トランペットを吹き鳴らせ」

でした。

♪♪♪♪♪

 

 

洋館で楽しむ「ひとときの音楽」 〜海・港・バロック〜について

 

コンサートの準備に忙しい合間に、プログラムやユニット「ひとときの音楽」の出会いなどについてうかがってみました。

 

− 今回は、「海・港・バロック」というタイトルですが、どのようなコンサートですか? また、歌われる曲はどんな曲ですか?

 

(木島) 横浜は来年で開港150周年を迎え、今年も各地で記念の行事が行われているとうかがいました。私たちの演奏するバロック音楽は、その倍の300年程前の西欧の音楽ですが、港を開き、西洋の文化に接することのできたこの横浜で、海や港にちなんだプログラムを組んでみようと思いました。

(森) バロック音楽は、海の風景を描写したり、港の別れを描写したりするような性質の音楽ではないのですし、そのようなシリーズはやったこともなかったので、このテーマにぴったりする音楽を探し、わたしたち「ひとときの音楽」の編成で演奏できる曲を探すのは最初は大変でした。

(大坪) しかし、海や港、出船などに関する曲も、探してみるといろいろ発見でき、(試しに演奏しながら曲を決めていったのですが)、面白い曲も多かったので、最後はどの曲を演奏するかを絞り込むのにひと苦労でした。どうぞ選りすぐりの曲をお楽しみください。

(木島) 私たちのユニットの発足のきっかけになったイギリスのバロック時代の作曲家パーセルのオペラから水夫のアリアという生き生きしたアリアを歌います。また、バロックの代表的な作曲家のヴィヴァルディ、ヘンデル、バッハにも「海・港」にちなんだ曲があり、波のきらめき、嵐の海、そして嵐の過ぎ去った海への船出など景色を想い起こさせるような曲を選びました。

 

− 今回演奏されるメンバーはユニット「ひとときの音楽」で活動されているそうですが、どのようなユニットですか?

 

(木島) 「ひとときの音楽」は1995年に結成された古楽のユニットです。「ひとときの音楽」という名前は、本日も歌うイギリス・バロックの代表的な作曲家ヘンリー・パーセルの歌曲「Music for a while(ひとときの音楽)」に由来しています。私たちは、古楽の多様なジャンルの中でも特に歌を伴う室内楽の可能性を追求し、国内外でユニークな活動を継続的に続けています。今日の3名は発足時からのメンバーです。

 

− 来年の横浜開港150周年を祝ってプログラムを構成されたとうかがいましたが、森さんは同じ年に開港した函館から、大坪さんも来年開港110周年を迎える博多から参加されています。お二人に港にちなんだコンサートへの思いをお聴きしてみましょう。

 

(森) 私は生まれたのが博多ですので、小さい頃から海に親しんで来ました。函館に住もうと思ったのも港町であったことが大きな魅力だったからです。考えてみると私達が演奏している音楽は全て海の向こうからやって来たもので、普段は忘れていますが、今回、港にちなんだプログラムということで、海を渡り、港から港へと伝えられた、その歴史や意義、また、改めてバロックの魅力って何なのかを考えさせられます。

(大坪) このメンバーでの初めての演奏会は13年前。東京と福岡で行いました。福岡での本番当日、皆で会場の「あいれふ」へと近づいた途端、ふいに東京からのメンバーが…「海の匂いがするっ!」その場からは見えませんが、”あいれふ”のすぐ北は海。在福の私は、改めて博多は港町だと感じた事でした。今日はメンバーとの出会いの頃にも思いを馳せながら、海にちなんだ音楽をお届けしたいと思います。

 

− みなさんはコンサート共演で知り合われ、それ以降親しいお友達ともうかがっていますが、お互いにどのようなかただと感じていらっしゃいますか? 音楽家としてでも、オフのお友達としての印象でも結構です。

 

(木島) 大坪さんは、一番頼りになる存在です。私達「ひとときの音楽」の第1回コンサートをやろうと言い出したのは彼女なのです。普段はエンジンがかかるとだじゃれオンパレードになってしまう楽しい人でもあります。

(大坪) 森さんは「センス&ガッツのある人」ですね。自身のテイストを大事にしながら、より充実した音楽活動に向けて邁進している姿を、本当に素晴らしいと感じます。

(森) 木島さんは一言で言うなら「懐深いひと」ですね。声からもおわかりのとおり、暖かく包み込んでくれるような優しさがあり、演奏だけでなく一緒に居て安心感があります。

 

− 木島さんは、数年前から横浜山手の洋館でコンサートをされていますが、洋館コンサートの楽しみは何ですか?

 

(木島) 山手の洋館でのコンサートは、コンサートホールへ音楽を聴くための構えた場でのコンサートと違って、ご近所のお宅に招かれて、音楽も楽しむといった親しみやすさ、お客様との距離の近さが特別の味わいがあると思っています。実際に大きなコンサートホールで歌うのと、歌い方も変わり、より語りかけるような音楽ができると思っています。バロックは17〜18世紀の王侯貴族の音楽と言っても良いのですが、現在の大ホールのような空間ではなく、限られた親密な空間で楽しまれました。西洋館の空間は、その魅力を楽しむには最適ですね。お客さまとの距離も近いし、お話も含めて音楽や楽器をより身近に感じていただけるとうれしいです。

 

− 山手洋館との出会いは?

 

(木島) 山手洋館との出会いは、2004年です。イギリスのモーツァルトと呼ばれ、21歳で夭折した作曲家ピントの歌曲をサロンコンサートで紹介したい、と考えていました。そのときに、洋館の館長さんや地元のバロックアンサンブルの皆さんの応援をいただき洋館コンサートをスタートすることができました。その後、パーセルの歌曲、ヘンデルのアリア、讃美歌や日本歌曲などをお届けしてきました。

 

− 最後に今日のコンサート、お客様にどのように楽しんでいただきたいとおもっていらっしゃいますか?

 

(木島) バロック時代には航海することは大きな危険を伴うものでしたが、目指す新しい土地への期待や冒険のわくわくする高揚感もあり、また海は生命の源という意味でも広く様々な可能性をもった神秘的な存在でもあります。音楽を通していろいろな感情が呼び起こされ、イメージを膨らませて楽しんで頂けたらと思います。

(大坪) テーマのある演奏会をお届け出来る事を、奏者として嬉しくまた楽しく感じています。初秋のひととき、「古楽」で綴る海と港の風景”をお楽しみ戴ければ幸いです。

(森) 飛行機やインターネットのない時代、国を越えるには海を渡るしかなかった。そのような時代のゆったりとした時間の流れや人々のヴァイタリティ、今も変わらない海の表情、港の別れと出会いなどに思いを馳せつつ、ゆっくりとお楽しみください。

 

− どうもありがとうございました。

 

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