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94dh Concert
アンサンブル山手バロッコ第94回演奏会
西洋館で親しむ
若きベートーヴェンとフォルテピアノ
Young Beethoven and Fortepiano
“洋館で親しむバロック音楽”シリーズ 第101回
2021年1月28日(木) 19時開演(18時30分開場)
横浜市イギリス館
出演
寺村 朋子(フォルテピアノ)
東京藝術大学チェンバロ科卒業。同大学大学院修士課程修了。チェンバロと通奏低音を山田貢、鈴木雅明の両氏に師事。第7回国際古楽コンクール山梨にてチェンバロ部門第2位入賞。イタリア、オーストリア、ベルギーなど国内外のアカデミーに参加して研鑽を積む。NHK「FMリサイタル」に出演。その他様々な分野で多くの団体と演奏活動を行うほか、楽譜の出版も行っている。また、Youtube「Cembaloチェンバロう!」で演奏動画配信中。チェンバロソロCD「Capriccioお気に召すまま」(レコード芸術準推薦)リリース。宮地楽器小金井アネックス・チェンバロ科講師。日本チェンバロ協会会員。
加藤 久志(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
洗足学園音楽大学卒業。同大学院修士課程修了。ヴィオラ・ダ・ガンバを福沢宏、武澤秀平の各氏に、コントラバスを藤原清登氏に師事。藍原ゆき、中野哲也、マリアンヌ・ミュラー、ジョシュ・チータムの各氏のレッスンを受ける。2015年ニース夏期国際音楽アカデミーにてディプロマを取得。古楽やポップスなど、様々な演奏活動を行っている。ブログ https://ameblo.jp/organic-cosme-memeko/
曽禰 寛純(クラシカル・フルート)
フルート演奏を経て、フラウト・トラヴェルソを独学で学び、慶應バロックアンサンブルで演奏。1998年にリコーダーの朝岡聡と共に、アンサンブル山手バロッコを結成し、横浜山手の洋館でのコンサートを継続。カメラータ・ムジカーレ同人。
アンサンブル山手バロッコ第94回演奏会
西洋館で親しむ
若きベートーヴェンとフォルテピアノ
Young Beethoven and Fortepiano
“洋館で親しむバロック音楽”シリーズ 第101回
プログラムノート
(アンサンブル山手バロッコ 曽禰寛純)
ベートーヴェンといえば運命や第九やしかめっ面の肖像画のイメージが一般的ですが、若き青年時代は少し違った肖像を残しています。オルガニストでもあった作曲と鍵盤楽器の師匠に出会い、バッハやバッハの息子の曲を研究・演奏し、またヘンデルやハイドン、モーツァルトなど幅広い音楽に接し、それをモデルにしながらも、新たな時代を開くエネルギーを注いで作曲をし、フォルテピアノの若き名手として演奏にも邁進しました。 このコンサートでは、若きベートーヴェンの愛したワルタータイプのフォルテピアノを中心に据え、ロココから古典派まで、若きベートーヴェンの道のりを味わうサロンコンサートです。
♪ ♪ ♪
ベートーヴェンへの道のりとフォルテピアノ
J.S.バッハ(1685−1750)
J.S.Bach
ゴルトベルク変奏曲よりアリア BWV988
Aria from Goldberg-Variations BWV988
若きベートーヴェンが勉強し、大きな影響を与えたのは、大バッハ、J.S.バッハでした。バッハは、1740年代に2度ほど、息子のカール・フィリップ・エマニュエル(C.P.E.)・バッハの仕えていたベルリンのフリードリヒ大王の宮殿を訪問しました。その宮殿では、ドイツのジルバーマン製作のフォルテピアノが愛好されていて、演奏したことも確かなようです。今日は、同じ頃に出版された有名なゴルドベルク変奏曲の主題を、宮廷での試奏に思いをはせて、フォルテピアノの音色でお聴きいただき、ベートーヴェンへの道をスタートしたいと思います。
J.C.F.バッハ(1732−1795)
J.C.F.Bach
キラキラ星(「ああお母さま聞いてちょうだい」による)変奏曲 ト長調
Allegretto con variazioni, “Ah,vous dirai-je,
maman”
ベートーヴェンが学んだバッハ一族のなかで、バッハの4人の息子はそれぞれ立派な音楽家になり後世に名を残しました。次にお聴きいただくのは、バッハの2度目の奥さんとの間に生まれ、ビュッケブルクのバッハとして知られたヨハン・クリストフ・フリードリヒ(J.C.F.)・バッハが1785−90年ごろに作曲した「ああお母さま聞いてちょうだい」の主題による変奏曲をお聴きいただきます。J.C.F.バッハは、ドイツの田舎の宮廷音楽家として一生を過ごしましたが、異母兄であるC.P.E.バッハや末っ子のヨハン・クリスチャン(J.C.)・バッハとも親しく息子たちを結び付ける役であると同時に、兄弟で一番優れた鍵盤楽器の名手だったといわれています。この主題は、現在ではキラキラ星として知られているもので、モーツァルトも同じ主題による変奏曲を作曲しています。
J.C.バッハ(1735-1782)
J.C.Bach
フォルテピアノのためのソナタ イ長調 作品17の5
Sonate in A Major Op. 17-5
アレグロ - プレスト
Allegro - Presto
バッハの末息子J.C.バッハは、1762年にイギリスに渡り、ロンドン生活を始めました。本日演奏するカール・フリードリッヒ・アーベルとは双方の親同士もドイツの宮廷楽団で仕事をした仲間で家族ぐるみで親交がありました。J.C.バッハはロンドンで作曲家として、またシャーロット王妃の鍵盤楽器教師として活動する一方、再会したアーベルと共同でコンサートを1764年より開始し、亡くなる前年の1781年まで続けました。このコンサートは「バッハ・アーベル・コンサート」として知られており、8歳になったモーツァルトは、父レオポルトにつれられて、ロンドンを訪問したときに接し、J.C.バッハと知り合い、終生尊敬していました。演奏するイ長調のソナタは、 1780 頃に出版された作品17のソナタ集に含まれています。出版譜には「チェンバロまたはフォルテピアノのための」と記載されており、1780年ころからのフォルテピアノの大きな人気の広がりを知ることができます。
C.F.アーベル(1723ー1787)
C.F.Abel
ヴィオラ・ダ・ガンバと通奏低音のためのソナタ ホ短調 WK150
Sonata for Viola da Gamba and Basso
continuo in e-minor
シシリアーノ - アレグロ - プレスト
Siciliano - Allegro – Presto
カール・フリードリッヒ・アーベルは、バッハと宮廷楽団の同僚であったヴィオラ・ダ・ガンバの名手クリスチャン・フェルデナンド・アーベルを父として、1723年に生まれました。父を師としてヴィオラ・ダ・ガンバの名人に育ったアーベルはJ.S.バッハに推薦状を書いてもらい、1748年にドレスデン宮廷音楽家となりました。その後、1759年に宮廷楽団を出て、ロンドンに渡り、シャーロット王妃のお抱え室内楽団に就職し、作曲と演奏で活躍しました。演奏するヴィオラ・ダ・ガンバと通奏低音のためのソナタ ホ短調は、1776に作曲されたもので、ヴィオラ・ダ・ガンバと鍵盤楽器のためのものです。この時期、ヴィオラ・ダ・ガンバはバロックから長く続いた栄華な楽器の歴史の最後の輝きを(アーベルのような名手により)放っていました。一方で、この時期チェンバロに代り、新しく登場してきたフォルテピアノの楽器としての最初の活躍が始まりました。バッハ・アーベル・コンサートでもこのような新旧の楽器の響きが楽しまれたのを想像してお聴きください。
F.J.ハイドン(1732-1809)
F.J.Haydn
クラヴィーアの為のソナタ ハ短調 Hob.XVI:20
Sonate fϋr Klavier c-minor Hob.XVI:20
アレグロ・モデラート - アンダンテ・コン・モート - アレグロ
Allegro Moderato - Andante con moto - Finale Allegro
フランツ・ヨゼフ・ハイドンは、エステルハージ宮廷の楽長として長くハンガリーに留まっていましたが、1790年に仕えていた侯爵が亡くなり、自由な活動が可能になり、ロンドンに招かれて、作曲と演奏の旅行を行い、大成功をしました。ハイドンは、ロンドン訪問の帰路にボンに立ち寄り、ベートーヴェンと出会い、その才能を見抜きベートーヴェンの仕えていた選帝侯に、自分の住んでいるウィーンへ勉強にこさせるよう進言し、べートーヴェンのウィーンへの旅立ちの機会を作りました。ベートーヴェンを送り出す記念帳には、多くの人が言葉を残していますが、その中に「・・神さまはモーツァルトの死を悲しんでいるが、次の音楽家を探している。君はハイドンの手からモーツァルトの心を受け取り給え。 きみの真の友 ワルトシュタイン」という言葉も残されています。演奏するハ短調のソナタは 1771年に作曲され、1780年に他の5曲とともに作品30として、ヴィーンのアルタリア社から出版されました。ハイドンがフォルテピアノを想定して書いたであろう最初期の作品と考えられています。ハ短調という調性の強い表現力をもつ意欲的な作品です。
L.v.ベートーヴェン(1770-1827)
L.v.Beethoven
ピアノソナタ第8番ハ短調「悲愴」作品13より第2楽章
Sonate fϋr Klavier Nr.8 “Pathetique” c-moll Op.13
アダージョ・カンタービレ
Adagio Cantabile
いよいよルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの登場です。最初に演奏するピアノソナタ第8番「悲愴」は、1797〜98年頃に作曲されました。ちょうど今日使用するフォルテピアノのモデルであるウィーンの名工アントン・ワルターのフォルテピアノが製作されたのと同時期です。この曲は、ベートーヴェンの有名なピアノソナタの中では、最も若い時期に作曲された曲です。なお「悲愴」という標題は1799年に出版された初版譜の表紙に掲げられており、自身の発案であったのかどうかはわかりませんが、了解のもとに名付けられたのは確かなようです。この曲は、演奏する2楽章のようにフォルテピアノでの演奏が効果的で新しい表現を持つ一方で、学んできた伝統的なバロックの様式(教会ソナタ)が取り入れています。
L.v.ベートーヴェン(1770-1827)
L.v.Beethoven
ピアノとフルートのためのセレナーデ ニ長調 作品41
Serenade D-dur fϋr Klavier
und Flőte
Op.41
エントラータ(アレグロ) - アンダンテ(変奏曲) - アレグロ・ヴィヴァーチェ・エ・ディスンヴォルト
Entrata, Allegro – Andante
con Variazioni -
Allegro vivace e disinvolto
1795年から97年にベートーヴェンは2曲のセレナーデを作曲しました。一曲はフルート、ヴァイオリンとヴィオラのためのセレナーデ ニ長調 作品25、もう一曲は弦楽三重奏(ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ)のためのセレナーデ ニ長調 作品8です。三重奏のための曲は、四重奏に比べ、楽器の数が少ないので作曲がやさしいということはなく、限られた声部で変化のある楽章を構成するのは作曲家の腕前の見せ所でした。当時、人気だったと思われるこの2曲は、異なる編成にも編曲され出版されました。本日のピアノとフルートのためのセレナーデは、作品25のセレナーデを、フランズ・クサヴァー・クラインハインツがベートーヴェンの指導のもとで1801年ころ編曲し、1803年に出版されたものです。編曲に当たっては、原曲の編成上中音以上に偏っていた音域をフォルテピアノの全音域を利用し拡大したり、ピアノに適した音型に変更したり、さらには声部の構成や小節を加えるなどの新たな創造的な作業を行っています。セレナーデは文字通り、演奏しても聴いても喜ばしい複数の楽章からなる曲です。本日は楽章を抜粋して演奏します。
最後に、演奏する楽器について:
べートーヴェンのフォルテピアノは、まさに作曲家と楽器製作者の共同作業のように、音楽と楽器が揃って大きな変化を遂げた時代にあたります。若きベートーヴェンのボン時代〜ウィーンへ移り住むころまでのフォルテピアノは、ウィーンのワルターの楽器が中心であり、本日演奏するフォルテピアノは18世紀末のワルター製作のフォルテピアノをモデルに製作されたものです。構造的にはそれまでのチェンバロの木の響板やボディーを継承しています。現代のピアノに比べてはるかに軽いハンマーやシンプルなアクションにより、軽やかで素早い反応ができ、音の立ち上がりも速いですが、一方で音の減衰は速く、音量はそれほど大きくありません。 チェンバロと同じように低音の弦と高音の弦が平行に張られているため、音の濁りがなく、低音と高音のバランスが良く、ガット弦の弦楽器とのアンサンブルのバランスも良いと感じています。
■フォルテピアノ:Anton Walter(1800年頃)をモデルに野神俊哉氏が製作(2013年)
■クラシカル・フルート: Friederich
Gabriel Augus Kirst (1790年頃)をモデルに、C.Soubeyran氏が製作(2012年)
■ヴィオラ・ダ・ガンバ: Nicolas Bertrand (1720年頃)をモデルに、益子功氏が製作(2005年)
たくさんの拍手をいただきましたので、J.C.バッハ 四重奏曲 ハ長調から第三楽章抜粋をお聴きいただきました。ありがとうございました。
参考文献:
平野昭/人と作品 ベートーヴェン 音楽之友社(2012)
小山実稚恵・平野昭/ベートーヴェンとピアノ 「傑作の森」への道のり 音楽之友社(2019)
越掛澤麻衣/ベートーヴェンとバロック音楽 音楽之友社(2020)
M.Fillion/Intimate expression for a widening
public(in CC to Haydn), Cambridge University Press(2005)
E.Sisman/“The sprit of Mozart from Haydn‘s hands?”:Beethoven’s musical inheritance, Cambridge
University Press(2000)
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