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53rd Concert
アンサンブル山手バロッコ第53回演奏会
開港記念会館で親しむ
バッハのカンタータと協奏曲
Bach’s Cantata and Concerto
“洋館で親しむバロック音楽”シリーズ 第47回
2014年6月7日(土) 14時開演(13時30分開場) 開港記念会館講堂
14:00 7th June. 2014 at Kaikou-kinen-kaikan Hall
特別共催: 横浜市中区役所
協力: 公益財団法人 横浜市緑の協会
楽器提供・協力: 木村秀樹(パイプオルガン製作家)、島口孝仁(チェンバロ製作家)
舞台装飾: 森田朋子(フラワー&テーブルコーディネーター)
出演
木島千夏(ソプラノ)(賛助出演)
国立音楽大学卒業後、同大学音楽研究所の研究員としてバロック歌唱の研究と演奏活動に従事した後、ロンドンのギルドホール音楽院に留学。第30回ブルージュ国際古楽コンクールにて4位入賞。翌年同音楽祭に招待され、モーツァルトの「聖墓の音楽」のソロ等を歌った他、ヨーロッパ各地で音楽祭や演奏会に出演。95年に帰国。ロンドンと日本各地でリュートのNigel Northとデュオ・リサイタルを行う。古楽ユニット「ひとときの音楽」シリーズ(1995年〜)、横浜山手の洋館コンサート(2002年〜)の他、2006年にG.F.ピント没後200年記念コンサートをフォルテピアノ(上尾直毅氏)と行う。「カペラ・グレゴリアーナ
ファヴォリート」メンバーとしてヴァーツ国際グレゴリオ聖歌フェスティバルに出演。現在、聖グレゴリオの家教会音楽科講師。横浜合唱協会ヴォイストレーナー。
曽禰愛子(メゾソプラノ)
声楽を川上勝功、U.ハイルマンの各氏に師事。鹿児島国際大学短期大学部音楽科及び同専攻科修了。鹿児島県新人演奏会に出演。洗足学園音楽大学大学院修了。2013年11月 横浜音祭り「パーセル・オペラ」に出演。声楽アンサンブル「ヴォーカルアンサンブル・ヴィクトリア」、「アフェッティ・ムジカーリ」メンバー
曽禰寛純(フラウト・トラヴェルソ)
フルート演奏を経て、フラウト・トラヴェルソを独学で学び、慶應バロックアンサンブルで演奏。1998年にリコーダーの朝岡聡と共に、アンサンブル山手バロックを結成し、横浜山手の洋館でのコンサートを継続。カメラータ・ムジカーレ同人。
大山有里子(バロック・オーボエ・ダモーレ、オーボエ・ダモーレ)(賛助出演)
大阪教育大学音楽科卒業。同大学専攻科修了。オーボエを大嶋彌氏に師事する。卒業後、関西を中心に活動し、大阪コレギウム・ムジクムのソロオーボエ奏者として、バロック時代の作品を中心に数多くの月例演奏会、定期演奏会等に出演する。そのかたわらピリオド楽器によるバロック音楽の演奏に興味を持ち、バロック・オーボエを始める。これまでに各地でピリオド楽器によるオーケストラやアンサンブルに参加し、現在は関東を中心に活動している。バロックアンサンブル「クラングレーデ」、「ダブルリーズ」、「アルモニー・アンティーク」メンバー。
石野典嗣(オーボエ・ダモーレ、オーボエ・ダ・カッチャ、バロック・ファゴット)
バロック・オーボエを独学で学ぶ。古楽器演奏家の追っかけと押しかけレッスン受講歴有り。現在、カメラータ・ムジカーレ同人。
角田幹夫(バロック・ヴァイオリン、ヴィオラ)
慶應バロックアンサンブルでヴァイオリンを演奏。独学でヴィオラ・ダ・ガンバを学ぶ。現在、カメラータ・ムジカーレ同人。アンサンブル山手バロッコ発足メンバー。
原田純子(バロック・ヴァイオリン)
洗足学園音楽大学卒業。ヴァイオリンを鈴木嵯峨子氏に師事。慶應バロックアンサンブルでヴァイオリンを演奏。卒業後古楽器での演奏に興味を持ちバロックヴァイオリン・ヴィオラを渡邊慶子氏に師事する。
モダン・バロックのヴァイオリン、ヴィオラ奏者として室内楽を中心に活動している。弦楽合奏団アンサンブルデュナミス、バロックアンサンブル「クラングレーデ」メンバー。
山口隆之(バロック・ヴィオラ)
学生時代、独学でバロック・ヴァイオリン、ヴィオラを始める。アンサンブルを千成千徳氏に師事。カメラータ・ムジカーレ同人。都留音楽祭実行委員。歌謡曲バンド「ふじやま」リーダー。
小川有沙(バロック・ヴィオラ)
慶應バロックアンサンブルでヴィオラを演奏。卒業後、オーケストラ、室内楽の両面で活動している。
櫻井 茂(ヴィオラダ・ガンバ)(賛助出演)
学習院大学及び東京芸術大学卒業。芸大ではコントラバスを専攻。また、芸大バッハ・カンタータ・クラブにおいて小林道夫氏の薫陶を受ける。
ヴィオラ・ダ・ガンバを大橋敏成、L.ドレイフュスの両氏に師事、またC.マッキントッシュ、J.リンドベルイ、S.ハウグザンらにアンサンブルの指導を受ける。
独奏者として国内外で活動。海外の著名バロックオーケストラの来日公演にも多数出演。L.ドレイフュス主宰のコンソート「PHANTASM」には94年の創設プロジェクトに参加
以来、度々客演する。ヴィオローネ奏者としてはバッハ・コレギウム・ジャパン等の古楽アンサンブルに参加。
飯塚正己(コントラバス)
学生時代よりコントラバスを桑田文三氏に師事。卒業後河内秀夫、飯田啓典の各氏より指導を受け演奏を続けている。
寺村朋子(チェンバロ)(賛助出演)
©篠原栄治
東京芸術大学音楽学部チェンバロ科卒業。同大学大学院修士課程修了。チェンバロと通奏低音を、山田貢、鈴木雅明の両氏に師事。第7回古楽コンクール・チェンバロ部門第2位入賞。シエナ、ウルビーノ、インスブルック、アントワープなど国内外のアカデミーに参加し研鑽を積む。NHK「FMリサイタル」に出演。その他多くの団体と様々なコンサート活動を行う。トリム楽譜出版より1999年「フルート・バロックソナタ集」、2002年「JS.バッハ作品集」(2009年再版)を編曲、出版。
現在、宮地楽器小金井アネックス・チェンバロ科講師。日本チェンバロ協会運営委員。2010年 チェンバロソロCD「カプリッチョ」(レコード芸術準推薦盤)リリース。
吉田恵(ポジティフ・オルガン)(賛助出演)
東京藝術大学オルガン科及び同大学院修士課程修了、ハンブルグ音楽大学卒業。オルガンを島田麗子、廣野嗣雄、Z.サットマリー、W.ツェラー、チェンバロを山田貢、通奏低音及び即興実技を鈴木雅明、室内楽をダルムシュタットの各氏に師事。
91年 ブルージュ国際オルガンコンクールにてバッハ・モーツァルトプライスを受賞。1998年4月より2002年3月まで新潟市民芸術文化会館の専属オルガニストを、2006年4月より2009年3月までミューザ川崎シンフォニーホール・ホールオルガニストを務めた。2007年12月には愛知県立藝術大学アーティスト・イン・レジデンスとして公開講座、及びリサイタルを行う。2004年12月から2010年3月まで日本大学カザルスホールにて、全12回のJ.S.バッハオルガン作品全曲演奏会を行った。2012年1月、オクタヴィアレコードから「J.S.バッハオルガン作品集vol.1」リリース。レコード芸術特選盤、Stereo特選盤、毎日新聞今月の一枚等、各誌から高い評価を受けている。また、2013年11月には、 「J.S.バッハオルガン作品集vol.2」リリース。現在、愛知県立藝術大学、日本大学藝術学部音楽学科講師。
アンサンブル山手バロッコ第53回演奏会
開港記念会館で親しむ
バッハのカンタータと協奏曲
Bach’s Cantata and Concerto
毎年150余年前の横浜開港と西洋音楽の受容を記念したコンサートを開催しておりますが、今回も横浜市のご支援をいただき、バッハの生涯の2つの頂点である、宮廷と教会の音楽の関連を探るコンサートを開催することとなりました。歴史的建造物の開港記念会館の空間で、チェンバロ、オルガンを中心とした協奏曲とソプラノ、アルトの独唱カンタータを ご一緒に楽しみたいと思います。
バッハは、1685年にドイツのアイゼナッハで音楽一族の家系に生まれ、その一生をドイツの国内で送りました。宮廷の楽団員として音楽家のスタートをし、アルンシュタット、ミュールハウゼンの教会オルガニストとしてその経歴を積み、1708年にヴァイマルの宮廷オルガニストとなり(のちに宮廷楽長に就任)、音楽好きのエルンスト公の求めに応じて、ヴィヴァルディやアルビノーニなどイタリアの作曲家の協奏曲を宮廷楽団で演奏したり、チェンバロ独奏のための編曲を行うなど集中的に研究しました。また、宮廷礼拝堂のために教会カンタータを本格的に作曲し始めました。1717年には、ケーテンのレオポルト侯の宮廷楽長として就任しました。自らもヴィオラ・ダ・ガンバを上手に演奏するほどの音楽好きのお殿様の元で、独奏曲、室内楽や協奏曲の名曲が数々生み出されました。一方でケーテン侯は教会での音楽を制限しているカルヴァン派に属していましたので、教会カンタータの作曲はこの時期中断しました。
1723年には、商業都市ライプチッヒの音楽監督でトーマス教会学校の校長であるトーマスカントルに就任し、1750年に亡くなるまでこの地で活動しました。就任直後から、毎週の礼拝で演奏される教会カンタータを精力的に作曲・演奏を始めました。バッハの教会カンタータは現在200曲弱が残されていますが、その多くがライプチッヒ就任直後の数年で作曲されました。一方で、1729年には、ライプチッヒ大学の音楽愛好家を中心とした市民のための演奏団体コレギウム・ムジクムの指揮者に就任し、10年以上の活動を通じて「ライプチッヒにコレギウム・ムジクムあり」というほどのコンサートに育て上げました。ここでは、バッハ自身がチェンバロの独奏をつとめたチェンバロ協奏曲をはじめとした器楽曲や音楽劇(ドラマ・ペル・ムジカ)と名付けられた世俗カンタータが数多く演奏されました。この世俗カンタータには、ライプチッヒを監督していたザクセン選帝侯への表敬・祝祭音楽も多く含まれています。バッハは、この活動を通じ1736年には、ザクセン選帝侯の宮廷作曲家に任命されることになりました。
本日はバッハが生涯に関わった世俗曲(協奏曲)と教会音楽(宗教曲)を、その親密な関係とともに楽しんでいただきたいと思います。バッハの時代は、市民は、教会においては共同体を構成し神に仕え、世俗においては、宮廷都市を構成し主君に仕えるというように、聖と俗が同一の構造で矛盾なく存在していました。また、音楽においても、作曲家は音楽を通じて、喜び、悲しみなど特定の情念(アフェクト)を聴き手の心に想起させるというアフェクト論が基礎となっており、この理論の元では、喜びの音楽が、神の賛美であろうが、領主を誉め讃えるための曲であろうが、全く同じで矛盾はないことになります。従って、宮廷のために書かれた曲が、教会での宗教曲に転用されたり、その逆に転用されたりというパロディという手法や同じ曲を、ことなった機会に編曲したり組み合わせたりすることは、一般的に行われていました。最晩年の傑作ロ短調ミサのほとんど全ての曲が、このパロディや再編集により構成されていることを見ても明らかなように、バッハにとってパロディは創作活動であり、極めて高いレベルで新たな価値を生み出しました。
J.S.バッハ (1714〜1750)
J.S.Bach/
ブランデンブルク協奏曲第5番 ニ長調 BWV1050
Brandenburg Concerto No.5 in D major, BWV 1050
アレグロ – アフェトゥオーソ –アレグロ
Allegro - Affetuoso
- Allegro
最初に演奏するブランデンブルク協奏曲は、6曲の協奏曲集として、ケーテン時代の末の1721年に、ブランデンブルクの領主に献呈されたために後世この名前で呼ばれるようになりました。当時バッハのつけた名前は「様々な楽器のための協奏曲」。いろいろな組み合わせの協奏曲を編んだもので、いわば当時のバッハの自選傑作集とでも言えるものだったと思います。これらの曲はすべて宮廷などで演奏される世俗曲に属しますが、バッハはその多くの曲を教会カンタータに転用し使用しています。ホルンが雄々しい1番の協奏曲は教会カンタータ第52番「偽りの世よ、われは汝に頼まじ」の最初のシンフォニア(器楽だけからなる導入曲)に用いられています。弦楽の響きの素晴らしい3番の協奏曲は、ホルンやオーボエの器楽パートを追加した形で、カンタータ第174番「われいと高くものを心を尽して愛しまつる」で最初シンフォニアとして響きました。
さて、演奏する第5番は、1719年にケーテン候の依頼で購入したチェンバロと関係があると考えられています。バッハは、当時の記録でも大変高価である素晴らしい性能を持った楽器を使って、チェンバロの活躍する協奏曲を書き上げました。それが、このブランデンブルク協奏曲第5番で、チェンバロを独奏楽器とした世界で最初の協奏曲であるともいわれています。独奏楽器はフルート、ヴァイオリンとチェンバロですが、チェンバロの活躍が目立ちます。ケーテン宮廷ではもちろんバッハ自身がチェンバロを弾いたのでしょう。第1楽章の終わり近くには長大なチェンバロ独奏によるカデンツァがあります。情感を込めてと題された第2楽章は、ヴァイオリンとフルートを独奏楽器とするトリオソナタのように始まりますが、チェンバロの右手がソロとして入り3つの独奏部をもつ四重奏曲の形となります。バッハは「伴奏をするときに即興で声部を加え、ソロソナタをトリオに、トリオを四重奏にして演奏した」と伝えられていることを想い起こさせます。舞曲(ジーグ)のリズムによる軽快な第3楽章では再びチェンバロの技巧的な独奏が聴かれます。 ブランデンブルク協奏曲の中でも、宮廷の楽器チェンバロの特性をとことんまで活かした曲だからでしょうか、バッハはこの曲を教会に持ち込むことはしませんでした。
J.S.バッハ (1714〜1750)
J.S.Bach/
カンタータ 第169番 《神にのみわが心を捧げん》 BWV169
Cantata “Gott soll allein mein Herze haben”
シンフォニア/アリオーソ/アリア/レチタティーヴォ/アリア/レチタティーヴォ/コラール
Sinfonia -
Arioso - Aria - Recitativo - Aria - Recitativo - Choral
バッハはヴァイマル時代に本格的な教会カンタータを作曲してからライプチッヒで晩年を迎えるまで、その作曲を続けました。本日お届けするのは、ヴァイマル時代の若きバッハの傑作のなかでも最初期に属する、カンタータ第199番と、ライプチッヒでの教会カンタータの連作が一段落し、新たな様式に挑戦した円熟期に属する、カンタータ第169番。2曲とも協奏曲や宮廷の独奏楽器との深い関係がある曲です。
1723年にライプチッヒに移り、3年分のカンタータを書き終わった1726年からは、新しい趣向として協奏曲の楽章やオルガンのオブリガート(独奏楽器による対旋律)をカンタータに取り込む工夫が開始されます。本日演奏するカンタータ第169番「神にのみわが心を捧げん」もこの代表的な曲で、1726年の秋に初演されました。バッハの音楽が好きな方には、冒頭のシンフォニアが、チェンバロ協奏曲第2番の最初の楽章と同じ曲であることにお気づきと思います。ソロ楽器はチェンバロでなくオルガンで、バッハ自身かバッハの長男ウィルヘルム・フリーデマンが独奏を務めたと考えられていますが、この曲では、最初の曲に加え、第3曲、第5曲の二つのアリアでも独奏楽器としてオルガンが活躍します。アルト独唱のために書かれていますが、この時期バッハは、約3ヶ月ごとにアルト独唱のカンタータを書いていますので、優れたアルト歌手がライプチッヒに滞在していたか、カンタータを担当するトーマス教会学校の生徒に優秀なアルトを歌う青年がいたのではないかと考えられています。この曲はバッハの3曲のアルト独奏カンタータの最後の曲で音楽的にも技巧的にも最も充実した曲となっています。
曲は、悪意ある質問を受けたイエスが、律法のうちでもっとも重要な第1のいましめとして「神である主を愛すること」、第2のいましめとして「隣人を自分のように愛すること」をあげた逸話を主題としています。オルガン独奏のシンフォニアに続き、アリオーソで「神にのみ私の心を捧げよう」という表題句が心からの願いとして繰り返され、続いてその解釈が展開されます。続く二つのアリアとレチタティーヴォでも、この神の愛のテーマが展開され、第5曲のアリアでは、現世のあらゆる快楽を葬り、地上の愛を拒否するという強い決意が歌われますが、その決意は、先ほどのチェンバロ協奏曲の第2楽章に基づいたオルガン協奏曲と新たに加わったアルトソロを組み合わせた充実した曲想によって示されます。次のレチタティーヴォで第2のテーマである隣人への愛が語られ、最後のコラールで、隣人への愛と、隣人と心をひとつとして平和を保つことへの願いを神に祈りこの曲を閉じます。
J.S.バッハ (1714〜1750)
J.S.Bach/
協奏曲 ニ短調 BWV35-1/156-1/35-5
(カンタータ 第35番《霊と心は驚き惑う》、 第156番《わが片足すでに墓穴に入りぬ》
より
シンフォニア BWV35-1/BWV156-1/BWV35-5)
Concerto for Organ and Oboe in d-minor BWV35-1/BWV156-1/BWV35-5
(指定なし) – アダージョ – プレスト
( ) - Adagio - Presto
後半の最初にお聴き頂く協奏曲は、カンタータの器楽曲(シンフォニア)を組み合わせたものです。バッハは、ライプチッヒのコーヒハウスで市民のための公開コンサートで、数多くの自作チェンバロ協奏曲を演奏しますが、1730年代後半に、1台のチェンバロを独奏とした協奏曲を8曲集中的に作曲(既存の協奏曲からの編曲)しました。7曲は完成しましたが、8曲目は第1楽章の9小節で中断されています。この曲はカンタータ 第35番の冒頭のシンフォニアと同じ曲になっており、おそらく、失われた協奏曲(オーボエ独奏?)をもとにしてカンタータも、チェンバロ協奏曲も作られたと思います。
本日は、バッハが、カンタータに冒頭と後半の最初に取り込んだ形で、第1楽章、第3楽章を、オルガン独奏で演奏します。カンタータ第35番「霊と心は驚き惑う」は、イエスの耳が聞こえないものへの癒しの奇跡の逸話に基づいたもので、第1部のシンフォニア(第1楽章)は、奇跡を前にしての驚きと神への賛美への導入として演奏されるものです。オルガンの独奏には弦楽合奏とチェンバロの伴奏に加え、三本の管楽器でオルガンソロを支えます。第2部のシンフォニア(第3楽章)は偉大な力の恵みが与えられることを切望する気分を、舞曲風の2部形式の疾走する音楽で表します。2楽章には、同時期に作曲されたカンタータ第156番「わが片足すでに墓穴に入りぬ」の冒頭を飾るオーボエ独奏のシンフォニアを演奏します。題名からも分かるようにこの曲は、死の床にあり信仰による救いを願う人を主題としたもので、緩やかな歩みの伴奏の上に、オーボエ独奏が甘美な死を暗示するように歌う音楽になっています。なお、この曲は、チェンバロ協奏曲第5番ヘ短調の第2楽章と同じ曲となっており、ここでも協奏曲とカンタータの密接な関係が分かります。
J.S.バッハ (1714〜1750)
J.S.Bach/
カンタータ 第199番 《わが心は血の海に漂う》 BWV199
Cantata “Mein Herze schwimmt im Blut”
レチタティーヴォ/アリア/レチタティーヴォ/アリア/レチタティーヴォ/コラール/レチタティーヴォ/アリア
Recitativo
- Aria - Recitativo - Aria - Recitativo - Choral - Recitativo - Aria
本日最後にお聴きいただくカンタータ第199番「わが心は血の海に漂う」は、ヴァイマルの宮廷楽長に就任する前年(1713年)に作曲されました。ダルムシュタットの宮廷詩人レームスの詩によるもので、自らの罪に恐れおののく者が、悲嘆のうちに懺悔するなかで、主イエスが人々の罪を背負って受難した意味を知り、安らぎを得、救済の喜びを歌う、というものです。バッハはソプラノ独唱と小編成の器楽で、この内面的な詩にふさわしい音楽をつけましたが、この曲は20世紀初頭に自筆譜が発見され知られるようになった曲で、ヴァイマル時代を代表する教会カンタータの名作と認められています。ヴァイマルでの再演、ケーテン、ライプチッヒでの演奏など、何回も再演をされ、その度に手が加えられているように、バッハ自身にとっても、大好きな自信作であったのではないかと思います。
曲は弦楽を背景とした悲痛なレチタティーヴォで始まり、オーボエが救いのない嘆きを表わす音型で伴奏するアリアに続きます。続くレチタティーヴォで自らの罪を告白、悔い改めると、弦楽伴奏は重荷を下ろした心を映すように、長調に転じ穏やかなアリアへと導きます。イエスの慰めを予感させるレチタティーヴォに続き、独唱がコラールでイエスの救いを歌い、ヴィオラがコラール旋律から紡ぎ出されたオブリガート旋律を重ねます。本日は、このオブリガートを、ケーテンでの再演で使われた(お殿様の楽器)ヴィオラ・ダ・ガンバで演奏します。曲のフィナーレは、救済の喜びを表わすレチタティーヴォに続くアリア。ジーグの舞曲のリズムに乗せて、オーボエ協奏曲とソプラノソロを合体した、この時代のバッハの研究したイタリアの趣味との融合が早くも見られます。
アンコール
どうもありがとうございました。
沢山の拍手をいただきましたので、
バッハのカンタータ第147番からコラール「主よ人の望みの喜びよ」
を全員でお送りします。
ありがとうございました。
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