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52nd Concert
アンサンブル山手バロッコ第52回演奏会
洋館サロンで祝う
エマニュエル・バッハの生誕300年
C.Ph.E. Bach 300th
Anniversary in Salon Concert
“洋館で親しむバロック音楽”シリーズ 第45回
2014年2月11日(火・祝) 18時開演(17時30分開場) ベーリックホール(横浜市中区山手町72)
18:00 11th February. 2014 at Yamate Berrick Hall
主催:「横濱・西洋館de古楽」実行委員会
共催:公益財団法人横浜市緑の協会/横浜古楽プロジェクト 後援:横浜市中区役所
協力:横浜山手聖公会/アンサンブル山手バロッコ/オフィスアルシュ 協賛:元町SS会
出演
高橋 弘治(バロック・チェロ)(賛助出演)
桐朋学園大学音楽学部、及び、ブリュッセル王立音楽院古楽器科卒業。モダン・チェロを中島顕、古澤渉、故山川郁子、倉田澄子の各氏に、室内楽を故ゴールドベルク山根美代子氏に師事。バロック・チェロを鈴木秀美、アラン・ジェルヴロウの各氏に師事。1999年渡欧。イタリア、スペインの音楽祭に招かれて演奏し好評を博す。2001年、ラ・プティット・バンドのヨーロッパ・ツアーにおいてソリストを務める。2001年より2007年までラ・プティット・バンドのメンバーとして演奏活動を行い、その活動はヨーロッパ各国、日本、そしてメキシコにまで及ぶ。2007年に帰国後は、古楽器オーケストラに参加するほか、2011年よりチェンバリスト岡田龍之介氏の主宰する古楽アンサンブル『ムジカ・レセルヴァータ』のメンバーとして活動を行っている。またソロ活動として、知られざるチェロの作品を取り上げた演奏会を行うなど積極的に演奏活動を行っている。これまでにクラシカル・プレイヤーズ東京、古楽アンサンブル『コントラポント』等に参加。古楽アンサンブル『ムジカ・レセルヴァータ』メンバー。現在、桐朋学園大学音楽学部附属「子供のための音楽教室」名古屋教室
講師。
崎川 晶子(チェンバロ)(賛助出演)
桐朋学園大学ピアノ科卒業。ピアノを故井口基成、兼松雅子、ジャン=クロード・ヴァンデンエイデン、指揮伴奏を故斎藤秀雄に師事。ベルギーにてチェンバロに開眼し、シャルル・ケーニッヒ、渡邊順生、パリの古楽コンセルヴァトワールでノエル・スピース、フォルテピアノをパトリック・コーエンに師事。ドレスデン・カンマーゾリステン、デイヴィッド・トーマスなど外国アーティストとも共演多数。現在ソロ、コンチェルト、室内楽など多方面で活躍中。ソロCD「ア川晶子/クラヴサンの魅力」「モーツァルトの光と影」「夢見る翼」(ア川晶子のために書き下ろされた上畑正和作品集)等をリリース、好評を博している。「モーツァルト・フォルテピアノ・デュオ」(渡邊順生氏と共演)は、2006年度レコードアカデミー賞(器楽部門)受賞。「音楽の泉シリーズ」主催。2011年にはCD「バッハ/アンナ・マグダレーナ・バッハのための音楽帳」をリリース、各誌で絶賛を受ける。 「横濱・西洋館de古楽2012/13」でモーツァルト ピアノ協奏曲を演奏、好評を博す。
アンサンブル山手バロッコ
1998年、横浜山手の洋館「山手234番館」のリニューアルに行なわれた記念のコンサートをきっかけに、山手在住のリコーダー愛好家・朝岡聡を中心に結成された古楽器を使った演奏団体。継続的に横浜山手の洋館での演奏活動を続けています。
また、西洋館でのコンサート「洋館で親しむバロック音楽」などの企画・プロデュース、古楽祭「横浜・西洋館de古楽」にも演奏・運営を通じて参加し、バロック音楽を分かりやすく伝える活動も行っています。本日の演奏メンバーを紹介します。
朝岡 聡 (ナビゲーター)
1959年横浜市生まれ。慶應義塾大学卒業後テレビ朝日にアナウンサーとして入社。1995年フリーとなってからはTV・ラジオ・CM出演のほか、コンサート・ソムリエとしてクラシックやオペラの司会や企画構成にも活動のフィールドを広げている。リコーダーを大竹尚之氏に師事。福岡古楽音楽祭にも毎年参加して、オープニングコンサートで軽妙かつ的確な司会は好評を得ている。「音楽の友」などに音楽関連の連載多数。1998年にフラウト・トラヴェルソの曽禰寛純と共に、アンサンブル山手バロッコを結成し、横浜山手の洋館でのコンサートを継続している。
横濱・西洋館de古楽2014実行委員長。
曽禰寛純(フラウト・トラヴェルソ)
フルート演奏を経て、フラウト・トラヴェルソを独学で学び、慶應バロックアンサンブルで演奏。1998年にリコーダーの朝岡聡と共に、アンサンブル山手バロックを結成し、横浜山手の洋館でのコンサートを継続。カメラータ・ムジカーレ同人。
角田幹夫(バロック・ヴァイオリン、ヴィオラ)
慶應バロックアンサンブルでヴァイオリンを演奏。独学でヴィオラ・ダ・ガンバを学ぶ。現在、カメラータ・ムジカーレ同人。アンサンブル山手バロッコ発足メンバー。
原田純子(バロック・ヴァイオリン)
洗足学園音楽大学卒業。ヴァイオリンを鈴木嵯峨子氏・海野義雄氏に、ヴィオラ・室内楽を岡田伸夫氏に師事。卒業後古楽器での演奏に興味を持ちバロックヴァイオリン・ヴィオラを渡邊慶子氏に師事する。また都留・札幌・福岡での古楽祭、フランスでのマスタークラスに参加し研鑽を積む。モダン・バロックのヴァイオリン、ヴィオラ奏者として室内楽を中心に活動している。弦楽合奏団アンサンブルデュナミスメンバー。
石川和彦(バロック・ヴァイオリン)(友情出演)
大阪音楽大学器楽科卒業後バロック・ヴァイオリンを始め、コレギウム・ムジクム・テレマンの主な公演に出演。2001年に渡仏し、ストラスブール音楽院にてバロック・ヴァイオリンとバロック音楽の研鑽を積む。フランスで“Le Parlement de Musique”などで活躍、現在、室内楽やオーケストラでモダン、古楽器とも活発に活動している。ヴァイオリンを曽田義嗣、林泉、佐藤一紀、バロック・ヴァイオリンを中山裕一、フランソワ・フェルナンデス、ステファニー・プィステー、桐山建志各氏に師事。
山口隆之(バロック・ヴィオラ)
学生時代、独学でバロック・ヴァイオリン、ヴィオラを始める。アンサンブルを千成千徳氏に師事。カメラータ・ムジカーレ同人。都留音楽祭実行委員。歌謡曲バンド「ふじやま」リーダー。
小川有沙(バロック・ヴィオラ)
慶應バロックアンサンブルでヴィオラを演奏。卒業後、オーケストラ、室内楽の両面で活動している。
中尾晶子(クラシカル・チェロ)
チェロを佐々木昭、アンサンブルを岡田龍之介、花岡和生の各氏に師事。カメラータ・ムジカーレ同人。
飯塚正己(コントラバス)
学生時代よりコントラバスを桑田文三氏に師事。卒業後河内秀夫、飯田啓典の各氏より指導を受け演奏を続けている。
アンサンブル山手バロッコ第52回演奏会
洋館サロンで祝う
エマニュエル・バッハの生誕300年
C.Ph.E. Bach 300th
Anniversary in Salon Concert
横濱・西洋館de古楽2014へ、ようこそいらっしゃいました。今年は大バッハの次男カール・フィリップ・エマニュエルの生誕300年の節目にあたります。バロックから古典派へと移りゆく音楽史の中で「多感様式」の作品を生み出し、のちのベートーヴェンらにも大きな影響を与えたエマニュエルの作品をお届けします。若き日の作品から最晩年まで、交響曲、2つの協奏曲と室内楽という組合せを、西洋館のサロンでご一緒に味わい、この音楽家の魅力を再発見いたしましょう。
カール・フィリップ・エマニュエル・バッハ(以下エマニュエル)は、1714年3月8日、ワイマールで、ヨハン・セバスチャン・バッハ(J.S.バッハ)の次男として生まれました。J.S.バッハは2度の結婚で20人の子供に、成人した子供からは四人の音楽家が誕生しました。ハレのバッハと呼ばれた長男フリーデマン、ベルリンまたはハンブルクのバッハと呼ばれ、次代を担う大音楽家となった次男エマニュエル、ビュッケブルクの宮廷に仕えた五男 フリードリヒ、ロンドンに渡り、新しい時代のモーツァルトにも尊敬された末息子のクリスチャンがその四人です。
エマニュエル・バッハは、生まれると同時に洗礼を受けていますが、代父には父バッハの旧友でハンブルクの楽長となるゲオルグ・フィリップ・テレマンと、父バッハとの所縁の深いヴァイセンフェルスの宮廷楽師アダム・エマニュエル・ヴェルティンが名前を連ねています。特に代父テレマンとの縁は、彼の一生を左右することになります。エマニュエルは、父親と共に生地ワイマールからケーテンを経て、ライプチッヒに移住します。この町のトーマス学校で学業を終え、ライプチッヒ大学、フランクフルト大学で法学を学びました。音楽については、長兄フリーデマンと同じように、幼少期から父親の手ほどきで学びました。バッハが2度目の妻、アンナ・マグダレーナに贈った音楽帳には、大バッハの曲だけでなく様々な曲が記されていますが、若きエマニュエルの作曲した曲が記入されています。自伝で「鍵盤楽器の演奏と作曲については父親以外から学ぶことはなかった。(ライプチッヒの父バッハのもとに音楽の大家が訪ねてきたことを回想し)若いころからあらゆる種類の音楽のもっともすぐれたものを身近に聴き、数多くの第一級の大家たちと知り合いになり、交友を結ぶという幸運に恵まれた。」と述べている様に最高の環境で音楽を自分のものにして行きました。フランクフルト大学時代には、勉学のかたわら、その地の音楽アカデミー(学生を中心とした公開演奏会)を任せられ、曲を作り、指揮をし、音楽家としての頭角を現しています。
大学を修了後、1738年には、ベルリンのフリードリッヒ皇太子(のちの大王)に招かれ、フリードリッヒの即位した1740年から27年の長きにわたり、この音楽好きで、プロ顔負けのフルートの腕前を持つ国王に宮廷音楽家として仕えました。その後、1767年に代父でもあるテレマンの後任として、商業貿易で栄えた自由都市で、自由な音楽活動が盛んなハンブルクの音楽監督に就任し、1788年に亡くなるまで同地で活躍しました。(この就任にはテレマンの代父としての計らいがあったと考えられています。)
C. Ph. E. バッハ
(1714〜1788)/
C. Ph. E. Bach /
弦楽のための交響曲 ハ長調 Wq.182-3/H.
659
Symphony for Strings in C-Major Wq.182-3/H. 659
アレグロ・アッサイ - アダージョ - プレスト
Allegro
assai - Adagio - Presto
エマニュエルは、ベルリン時代、ハンブルク時代を通じて交響曲を作曲していますが、特に注目されるのはハンブルク時代に2つの曲集として作曲された12曲の交響曲です。本日演奏する 交響曲ハ長調は、1773年に出版された6つの交響曲の3番目の曲です。この曲集は、オーストリアの外交官として当時ベルリンに住んでいたスヴィーテン男爵(1734 〜1803)の依頼により作曲されました。セバスチャン・バッハの信奉者であった男爵は、ベルリンで次男の活躍を知り、ハンブルクに移ったエマニュエルを訪ねました。この時から二人の交友関係が始まり、男爵の委嘱がいくつかの名曲を生むことになります。余談ですが、バッハ親子の信奉者となった男爵は、その後、ウィーンに戻り、モーツァルトの擁護者となると同時に、モーツァルトにバッハの音楽を紹介したり、ヘンデルの曲の編曲上演を託すなど少なからず影響を及ぼしました。また、男爵は、ハイドン晩年の名作、オラトリオ「天地創造」や「四季」の作詞者としても名を残しています。ハイドン自身も、「私のことをよく知っている人には、私がエマニュエル・バッハに多くを負っていることを、そして私が彼を理解し、熱心に勉強したことをわかってもらえるに違いない。」 と語っているように、エマニュエルとスヴィーテン男爵の縁が、バロックから古典派への重要な方向性を形成していることは注目に値すると思います。
曲は、はやいーゆっくりーはやいの3つの楽章が切れ目なく演奏されます。第一楽章の冒頭から何小節も続くユニゾンのハ長調の和音、それが予想もしない音に着地するという、台頭してきたいわゆる疾風怒濤の感情表現を駆使しています。同じく感情変化と驚きの組み込まれた第二楽章に続き、軽快な第三楽章で締めくくります。当時、楽譜をスヴィーテン男爵に送ってしまう前に、エマニュエルの周りの演奏家たちが、この曲を演奏しました。「音楽的に必要ならどんなに難しい曲でもよいと男爵の希望があったので、演奏家はしっかりと練習して演奏に臨んだ。(中略)流れ出た音楽は、(そのすべてが理解できたかどうかはわからないが)独創的な魅力、曲想の大胆な展開、素晴らしき多様性と歌心、そして大胆な転調が連続するものだった。これほどまでに高度で、大胆で、機知にとんだ曲が、天才の魂から湧き出ることはないと思われるほどだった。」と語っています。エマニュエルにとっても自信作だったのでしょう、自伝の「私の了解を得て出版された私の作品(当時はまだ海賊出版も横行していた)」リストの最後に「1773年 要望に応えて《6つの4声部シンフォニー》」と書き記しています。
C. Ph. E. バッハ
(1714〜1788)/
C. Ph. E. Bach /
チェンバロ協奏曲 ニ短調 Wq.23/H.427
Concerto for Cembalo and orchestra in d-minor
Wq.23/H.427
アレグロ - ポコ・アンダンテ - アレグロ・アッサイ
Allegro -
Poco andante - Allegro assai
チェンバロを独奏楽器とした協奏曲は、父親バッハによって開発されたジャンルですが、息子達、弟子たちは皆この形式を好み、多数の曲を残しました。エマニュエルは、自伝で書き残しているように実に49曲のチェンバロ協奏曲を作曲しており、ハイドン、モーツァルトのピアノ協奏曲への道を開いたとも言えると思います。
チェンバロ協奏曲ニ短調は、まだ父親が存命中の1748年にベルリンの宮廷で作曲されました。チェンバロ協奏曲ニ短調といえば、父親 セバスチャンの協奏曲(BWV1052)が有名で、大バッハの協奏曲の中でも最も技巧的、個性的な名曲として知られています。エマニュエルも若いころ親元で、この曲に触れており、自分も同じ主題で協奏曲(編曲・習作)を残していますので、強い影響を受けたに違いありません。チェンバロ奏者の渡邊順生さんは、「このC.P.E.バッハの協奏曲を一度聴けば、息子のバッハが父親の作品と同種の感情内容を表現したいという衝動に身を委ねざるを得なかった状況が即座に納得できるであろう。」と述べています。バッハの息子で最も成功したエマニュエルらしく、この衝動をエネルギーに変えつつも、父親の直接的な影響を乗り越え、模倣に陥るのではなく、それを乗り越えた個性的な曲として仕上げることで、立派に独立した音楽家として新たな境地を確立した素晴らしい作品だと思います。曲は、はやいーゆっくりーはやい、の3楽章構成、速い楽章は全奏と独奏が交互にあらわれるリトルネロ形式を採用するなど父親のチェンバロ協奏曲と同じ構成を採用していますが、その内容は、ユニゾンの多用や突然の休止や感情(強弱)の大きな変化など、次の世代の多感様式に、エマニュエルの個性と優れた鍵盤奏者としての火花の飛び散るような独奏部が加わり、この曲を魅力的なものにしています。
C. Ph. E. バッハ
(1714〜1788)/
C. Ph. E. Bach /
フルート、ヴィオラ、チェロとチェンバロのための四重奏曲 イ短調 Wq.93/H537
Quartet for Cembalo, Flute, Viola and Violoncello in a-minor Wq93/H537
アンダンティーノ - ラルゴ・エ・ソステヌート - アレグロ・アッサイ
Andantino - Largo e sosutenuto
- Allegro assai
四重奏曲 イ短調は、エマニュエルの最晩年の1788年に作曲された3つの四重奏曲の第1曲です。1788年といえばモーツァルトの晩年、時代は大きく変化しています。この四重奏曲も、バロック〜ギャラント・多感様式から、古典派の形式への明らかな転換が見えます。四重奏曲ですが、鍵盤楽器(チェンバロまたはフォルテピアノ)が中心的役割になっており、フルート、中音域のヴィオラが対旋律で掛け合ったり、和声を支えたりします。チェロの楽譜は残っていませんが、自筆譜の鍵盤楽器の左手部分に、チェロ演奏部分の注記があることから、チェロは鍵盤楽器の譜面を覗きながら、低音を重ねたと考えられます。この曲は、様式的にもソナタ形式に肉薄しています。曲は、はやいーゆっくりーはやい、の3楽章形式です。第一楽章は、大きなフレーズの中にスパイスを散りばめたような主題で始まり、色合いを変化させて幾度となく移り気な転調をくり返し、やがて主題を再現します。第二楽章はソナタ形式の要素を伴う自由な三部形式で書かれ、特徴的な3つの主題が登場し、楽器の色彩、和声やリズムの動きを変化させます。第三楽章もロンド(ソナタ)形式で書かれ、軽快な主題が曲全体を支配し、フルート、ヴィオラ、チェンバロが、躍動感あふれる掛け合いをします。続いて各楽器が軽快な音階で突進し、最後は分散和音で力強く締めくくります。
C. Ph. E. バッハ
(1714〜1788)/
C. Ph. E. Bach /
チェロ協奏曲 イ長調 Wq.172/H.439
Concerto for Violoncello and orchestra in A-Major Wq.172/H.439
アレグロ - ラルゴ - アレグロ・アッサイ
Allegro -
Largo - Allegro assai
チェロ協奏曲イ長調も、ベルリンの宮廷に使えていた時期の曲です。同じ曲が、フルート、チェンバロを独奏としたバージョンでも残されています。エマニュエルは、「その他の楽器のための協奏曲は、チェンバロ独奏用にも作曲」したと自伝で述べていますので、フルート、またはチェロの独奏で最初に作曲されたのではないかと考えられます。
1753年頃の作曲と推定されていますが、いずれの独奏にしても大変な演奏技術を要求することは、間違いありません。この曲を誰が演奏したのかは記録がありませんが、当時のベルリンの宮廷楽団には、チェロの名手を輩出したことで有名なボヘミアの出身のイグナツ・マーラというチェロ奏者が仕えておりました。マーラは、他の楽師に比べ桁違いに高い報酬を得ていましたので、余程の名演奏家だったと考えられます。マーラとエマニュエルとのベルリン宮廷での出会いが、この曲を生んだのではないかと思います。
曲は三つの楽章からなります。第一楽章は、イ長調の分散和音をテーマとした全奏から始まり、それを含むモチーフでチェロの独奏が始まります。楽章を通して軽やかな足取りの独奏や歌うような滑らかな独奏と力強い全奏が交互に登場します。続く第二楽章は、ヴァイオリンとヴィオラがユニゾンで奏でる、ゆったりしたテーマで始まりますが、一時も同じ感情にとどまれないようにフォルテとピアノの間を激しく揺れ動くエマニュエルの多感な緩徐楽章の特徴を備えています。チェロの独奏も同じテーマを引継ぎ、発展させて行きます。楽章の最後はチェロのカデンツァを経て、全奏で終わります。最終楽章は四分の二拍子の舞曲のような軽快な楽章。弦楽合奏も楽器の和声や掛け合いも凝ったつくりになっていて、父親を彷彿とさせます。独奏チェロは、この合奏の間を自由に駆け回り名人芸を披露します。特に中盤の(チェロの版だけに書かれた)30小節にも及ぶ分散和音の独奏部分が、この曲一番の聴き所です。
アンコール
どうもありがとうございました。
沢山の拍手をいただきましたので、
エマニュエル・バッハの異母兄弟、J.Ch.F.バッハのチェロとオブリガート・チェンバロのためのソナタ ニ長調から「ラルゲット」
をお送りします。
最後に全員で先ほど演奏した弦楽のための交響曲 ハ長調 から第三楽長「プレスト」をお送りします。
ありがとうございました。
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