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39th Concert
アンサンブル山手バロッコ 第39回演奏会
歌とチェンバロで味わう イギリス音楽の黄金時代
"The Golden Age of English Vocal and Keyboard Music”
“洋館で親しむバロック音楽”シリーズ 第21回
2011年7月23日(土) 午後4時開演(午後3時30分開場) 山手234番館 レクチャールーム(元町公園前)
16:00
23rd July. 2011 at Yamate234-House
主催:財団法人横浜市緑の協会/山手234番館
出演 アンサンブル山手バロッコ
わたしたち「アンサンブル山手バロッコ」は、98年、横浜山手の洋館 山手234番館のリニューアルに行なわれた記念のコンサートをきっかけに、山手在住のリコーダー愛好家 朝岡聡を中心に結成された、バロック時代の楽器(古楽器)を使った演奏団体で、継続的に山手の洋館での演奏活動を続けています。本日の演奏メンバーを紹介します。
森川郁子(ソプラノ)
Yuko Morikawa (Soprano)
桐朋学園大学声楽科を経て、同音楽大学研究科2年修了。
古楽声楽を小林木綿、鈴木美登里、原雅巳の各氏、声楽を牧川修一、石井美香の両氏に師事。また、国内外の古楽祭や講習会にて、L.ベルトッティ、R.インヴェルニッツィ、R.ミュラーの各氏の指導を受ける。
ルネサンスから近現代音楽まで、ソロ・アンサンブル問わず多くのコンサートに参加。オペラでは「リゴレット(ジルダ役)」、「セルセ(セルセ役)」等を演じた。
現在はソロの他、「レックス・クレメンティエ」、「コントラポント」、「アトナリテ・クール」等の古楽アンサンブルのメンバーとしても活動する。日本ヘンデル協会、日本イタリア古楽協会会員。
酒井絵美子(チェンバロ)
Emiko Sakai (Cembalo)
洗足学園高等学校音楽科を経て、同音楽大学ピアノ科卒業。
ピアノを池谷淳子、冨岡英子の両氏に師事。在学中チェンバロに出会い、岡田龍之介、家喜美子の両氏に師事。故小島芳子、A.プリャエフ、N.パール、M.メイヤーソン、E.バイアーノ、K.ハウグサンの各氏のレッスンを受ける。
また、オルガンを家喜美子、フォルテピアノを伊藤深雪の両氏レッスンを受ける。CD「篠原理華 リコーダー&ミュゼット」に参加。
2009年横浜イギリス館、2010年横浜山手234番館にてソロ・リサイタルを開催。現在、チェンバロ及び通奏低音奏者として日本各地で演奏、講習会のアシスタントを務めるなど、意欲的に音楽活動を行なっている。
アンサンブル山手バロッコ 第39回演奏会
歌とチェンバロで味わう イギリス音楽の黄金時代
"The Golden Age of English Vocal and Keyboard Music”
“洋館で親しむバロック音楽”シリーズ 第21回
山手西洋館の夏の宵のコンサートにおいでいただきましてありがとうございます。私たちアンサンブル山手バロッコは、1998年の西洋館実験公開を機に結成され、2003年の夏の宵のコンサートの発足時より、夏の宵にバロック音楽を継続的に演奏しております。本年のコンサートでは、ソプラノの森川郁子さん、チェンバロの酒井絵美子さんのお二人で、イギリス音楽の黄金時代のバードやパーセルの鍵盤楽曲や歌曲をお届けいたします。みなさまと共に、西洋館の雰囲気の中、豊かな時間を過ごしたいと存じます。どうぞよろしくお願いいたします。
***
イギリス音楽は、ルネサンスの終わり、1500年代の後半に大きく花開きました。16世紀前半からのヘンリー8世のイギリス国教会への改宗から始まる宗教的な混乱、国王・女王の頻繁な交代による乱れなど、厳しい国情を受け登場したエリザベス1世(1558〜1603在位)は、宗教政策を含む政策を展開することで、国力の充実と産業の発達を遂げ、同時に文化、音楽と演奏家・作曲家の活動も活発化しました。この時代ウィリアム・バード(1543〜1623)やジョン・ダウランド1563〜1626)、オーランド・ギボンズ(1583〜1625) 、トマス・トムキンズ(1572〜1656)などの作曲家・演奏家が花を開きました。17世紀に入り、ヨーロッパ全体がバロックの時代に移り変わるころ、イギリスは世界に君臨する大国へと発展し、国家としての黄金期が始まることになります。貿易などで富の集まったイギリスロンドンは、音楽消費地としても発展し、ヨーロッパ中から優れた歌手や演奏家、作曲家が集まり、オペラや音楽会が行われました。一方で消費国になった影響なのでしょうか、イギリス人の作曲家、演奏家については、前世紀後半のような名人の輩出はなく、唯一本日演奏するパーセル(1659-1695)が際立った存在と言える状態でした。ドイツ人ヘンデルはイギリスで大活躍し、最後は英国に帰化しましたし、彼のオペラハウスではたくさんのイタリア人歌手や演奏家が活躍していました。この流れは続き、ハイドンがロンドンで熱烈な歓迎を受け、ロンドン交響曲を残した19世紀直前にも繋がっていきます。
ウィリアム・バード(1542〜1623)
William Byrd(1542〜1623)
フィリップ・トレジャン氏のパヴァーヌ
Pavan :
Ph.Tregian
バード(1542〜1623)はエリザベス朝最大の作曲家です。残された作品は多岐にわたりますが、この作品「フィリップ・トレジャン氏のパヴァーヌ」は、≪フィッツウィリアム・ヴァージナル・ブック≫と呼ばれる、イングランドにおける鍵盤楽曲の筆写譜に収められています。 この曲集は1562年頃から1612年頃、すなわちルネサンス末期から初期バロックに作曲されたマドリガルなどの声楽曲の鍵盤用編曲、プレリュード、変奏曲などが約300曲収められており、当時の曲を現代に伝える非常に貴重な一次資料になっています。
ジョン・ダウランド(1563〜1626)
John Dowland
彼女はいいわけできるのか [エセックス伯のガリアルド]
Can She
excuse my wrongs? [The Earl of Essex’s Galliard](1597)
ダウランド(1563〜1626)は、イギリスの作曲家、リュート奏者。オックスフォード大学で音楽楽士となり、ドイツ、イタリアなどで活躍した後、イギリスに戻り国王付リュート奏者となりました。リュート歌曲とリュート独奏曲を主に残していますが、「彼女はいいわけできるのか」は、1597年に出版された≪リュート伴奏つきの歌曲集第1巻≫に収められています。
<歌詞大意>
彼女はいいわけできるのか
私の受けた苦しみを、美徳に紛れてあの人は言い訳できる?
非情とわかったあの人を、良い人などと呼べる?
澄んだ炎なら、なぜ煙の中に姿をくらます?
果実を得られないのに、その葉を讃えよと?
いや違う、影が実体を表しているところでは
見ているものが霞んでいるなら、お前は騙されてしまうだろう。
冷たい愛は、砂の上の文字か水面に浮かぶ泡にも似ている。
お前は、まだこのように騙されているのか、
あの人がお前への仕打ちを正そうとしないのに。
あの人の心を克服できない限り、おまえの愛は決して実を結ぶことはないだろう。
あの人が私に拒んでいる高貴な喜びに、憧れないほど私は卑しいものだったのか。
喜びが高貴なほど、私の望みも気高いのだ。
あの人がそれを拒むなら、何を与えてくれるのか。
もしあの人が理性というものに従おうとするのなら、
理性が望むところは、「愛よ正しくあれ」ということだ。
さあ、このことを認めて私を幸せにしてほしい。
そうでなければ、ぐずぐずせずに死なせてほしい。
千度も死ぬ方がましだ。このように苦しみながら生きるよりは。
でもいとしい人よ、覚えていておくれ、私は君のために心満ち足りて死んだのだ、と。
ヘンリー・パーセル (1659〜1695)
Henry Purcell
恋の病から(「インドの女王」より)
I attempt from Love’s sickness (from “The Indian Queen” Z.630)
組曲 第7番 二短調 アルマンド 〜 クーラント 〜 ホーンパイプ
Suite No.7 in D minor Z.668 Almand-Corant-Hornpipe
ばらの花よりも甘く
Sweeter than Roses Z.585/1 (1695)
パーセル (1659〜1695)は、イギリス音楽史上最大の作曲家。宮廷楽団の作曲家、ウエストミンスター寺院や王室礼拝堂のオルガニストを歴任し、王室向けの追悼音楽や祝典音楽も作曲するなど、まさにイギリス音楽界のあらゆる重要な地位を獲得しましたが、働き盛りの30代半ばで夭折しました。自由奔放、不規則なフレージング、拍子とリズムの衝突など、情熱に身をまかせるような作風であるとともに、幼少時に学んだエリザベス朝時代の音楽家たち(バード、ブル、ギボンズら)の様式とイタリア、フランス音楽の構成を取り入れ、独自の輝かしい個性を確立していきました。
「恋の病から」は劇≪インドの女王≫の3幕で歌われる恋の歌、「ばらの花よりも甘く」はノートンの戯曲≪パウサニアスまたは祖国を裏切るもの≫で歌われる曲で、後半は勝ち誇る恋をファンファーレのように歌い上げます。深く、一日の終わりに神への感謝を歌ったものです。チェンバロ独奏のための組曲は全8曲残されており、すべてアン王女に捧げられています。演奏する組曲 第7番 ニ短調は当時の定番の舞曲アルマンドで始まり、軽快な舞曲クーラントが続き、最後はイギリスの伝統的な舞曲ホーンパイプで締めくくります。
<歌詞大意>
恋の病から
恋の病から飛び立とうとするが、それは空しい。私自身が熱であり、痛みなのだから。
心よ、おまえにはもう抗う力はない。恋は運命より力強く無慈悲だ、嫌っている者を愛して自滅させてしまう。
ばらの花よりも甘く
夕べのそよ風より涼しく、暖かい花咲く浜辺での、愛おしいキス。
初めは凍るほどに震え、次の瞬間炎が全身を駆け巡った。
勝ち誇る愛の神は、なんという魔力を持っているのだろう。
あれ以来、見るもの触れるものすべてが、私には愛なのだ。
. トマス・モーリー(1557/58〜1602)
Thomas Morley
パヴァーヌとガリアルド
Pavana and Galiarda
モーリー(1557 または1558〜1602)はシェイクスピア時代のイギリスの作曲家、オルガニスト。エリザベス朝の重要な宗教的合唱曲(マドリガル)作曲者として名を残していますが、世俗的なリュート伴奏の歌曲や当世はやりの舞曲など、リュートを含む器楽曲も残しています。演奏する「パヴァーヌとガリアルド」は、バードの曲と同じく、
≪フィッツウィリアム・ヴァージナル・ブック≫に収められています。この曲は、ダウランドが作曲し、当時大変流行したラクリメ(流れよ、我が涙)をテーマにした変奏曲です。
ヘンリー・パーセル (1659〜1695)
Henry Purcell
麗しのアルビナ
Lovely Albina Z.394
音楽は愛の糧
If music be the food of love Z.379
夕べの讃歌
An Evening Hymn Z.193
「麗しのアルビナ」は、パーセルが病に倒れる前に書いた最後の歌であると言われています。社会風刺的内容を思わせる歌詞で、ベルギーの獅子とはウィリアム3世、アルビナはアン王女のことではないかとする説もありますが、その真意は不明です。「音楽は愛の糧」は1692年に作られたリュートソングで、叙唱風な前半と、3拍子による後半から構成される表情豊かな秀作です。安定した足取りの上に、愛における音楽の力を歌います。「夕べの讃歌」は、1688年に出版された宗教的歌曲です。沈み行く太陽を暗示するかのような、静かに下降するグラウンド・バスが印象深く、一日の終わりに神への感謝を歌ったものです。
<歌詞大意>
麗しのアルビナ
麗しのアルビナが浜に上がってきた、その正当な資格を示すために。
前よりも十倍も美しくなって 、その不滅の名声を誇っている。
かのベルギーの獅子は勇敢なので、この美女をなごませる。
なぜなら生きながらにして彼女を苦しませることができるのは、賤しい盲目の奴隷くらいだからだ。
音楽は愛の糧
もし音楽が愛の糧なら、喜びで一杯になるまで歌い続けて下さい。
耳を傾けている私の魂を、あなたは尽きることのない喜びへと動かしてくれます。
あなたの目、姿、舌が語っています、どこにいてもあなたが音楽そのものだと。
喜びが目からも耳からも侵入して来て、余りにもうっとりして傷つけられるほどです。
ご馳走は音だけなのに、私の感覚はすべて虜になってしまう。あなたのその腕で
救ってくれなければ、私はその魅力ゆえに滅びてしまいます。
夕べの讃歌
今や太陽はその光をヴェールで隠し、世界におやすみの挨拶を告げる。
私は柔らかいベッドにこの身を横たえる。だが魂は一体どこで憩うだろう?
親愛なる神よ、それはあなたの腕の中。これほど快く安全な場所が他にあるだろうか?
だからその憩いの場へと行け、わが魂よ!そして歌によって、おまえの日を長からしめたもう慈悲を称えよう。ハレルヤ!
アンコール
どうもありがとうございました。
沢山の拍手をいただきましたので、もう1曲歌っていただきます。
Henry Purcell She loves and she confesses, too Z.413 彼女は愛を打ち明けた
をお聴きいただきましょう
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