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34th Concert
山手西洋館 夏の宵のコンサートシリーズ
アンサンブル山手バロッコ第34回演奏会
夏の宵のバロック アンサンブルの楽しみ
"Baroque Ensemble Music in a Summer Evening ”
“洋館で親しむバロック音楽”シリーズ 第14回
2010年8月13日(金) 16時開演 横浜イギリス館
4:00pm
13th August. 2010 at Yokohama Igirisu-kan
主催: 財団法人 横浜市緑の協会
出演 アンサンブル山手バロッコ
わたしたち「アンサンブル山手バロッコ」は、98年、横浜山手の洋館 山手234番館のリニューアルに行なわれた記念のコンサートをきっかけに、山手在住のリコーダー愛好家 朝岡聡を中心に結成された、バロック時代の楽器(古楽器)を使った演奏団体で、継続的に山手の洋館での演奏活動を続けています。本日の演奏メンバーを紹介します。
曽禰寛純 (フラウト・トラヴェルソ)
Hirozumi Sone (Flauto Traverso)
フルート演奏を経て、フラウト・トラヴェルソを独学で学び、慶應バロックアンサンブルで演奏。1998年にリコーダーの朝岡聡と共に、アンサンブル山手バロックを結成し、横浜山手洋館でのコンサートを継続。カメラータ・ムジカーレ同人。
角田幹夫(バロック・ヴァイオリン)
Mikio Tsunoda (Baroque Violin)
慶應バロックアンサンブルでヴァイオリンを演奏。独学でヴィオラ・ダ・ガンバを学ぶ。カメラータ・ムジカーレ同人。アンサンブル山手バロッコ発足メンバー。
渡辺比登志(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
Hitoshi Watanabe (Viola da gamba)
慶応バロックアンサンブルでチェロを演奏。ヴィオラ・ダ・ガンバを神戸愉樹美氏に師事。カメラータ・ムジカーレ同人。
曽禰愛子(メゾソプラノ)
Aiko Sone (Alto)
声楽を川上勝功氏、U.ハイルマン氏に師事。現在、鹿児島国際大学音楽学部専攻科在学中。
寺村朋子 (チェンバロ)、ゲスト
Tomoko Teramure (Cembalo) Guest
東京芸術大学音楽学部チェンバロ科卒業。同大学大学院修士課程修了。チェンバロと通奏低音を、山田貢、鈴木雅明の両氏に師事。第7回古楽コンクール・チェンバロ部門第2位入賞。
シエナ、ウルビーノ、インスブルック、アントワープなど国内外のアカデミーに参加し研鑽を積む。NHK「FMリサイタル」に出演。その他多くの団体と様々なコンサート活動を行う。
トリム楽譜出版より1999年「フルート・バロックソナタ集」、2002年「JS.バッハ作品集」(2009年再版)を編曲、出版。宮地楽器小金井アネックス・チェンバロ科講師。
2010年チェンバロ独奏CD「Capriccio お気に召すまま」をリリース。
アンサンブル山手バロッコ第34回演奏会
夏の宵のバロック アンサンブルの楽しみ
"Baroque Ensemble Music in a Summer Evening ”
山手洋館 恒例の夏の宵のコンサート。イギリス館は昨年同様、古楽器コンサートをお届けします。今年は、バロックの頂点、ヨハン・ゼバスチャン・バッハとその息子たちの時代の曲を中心にいろいろな構成でお聴きいただきます。
C.Ph.E.バッハ(1714〜1788)
C.Ph.E.Bach
フルート、ヴァイオリンと通奏低音のためソナタ ト長調 H581、Wq152
Sonata for Flute, Violin and Basso continuo G-major H581、Wq152
アレグレット – アンダンティノ – アレグロ
Allegretto – Andantino – Allegro
カール・フィリップ・エマニュエル・バッハは、大バッハの次男で、ベルリンのバッハ、ハンブルグのバッハと呼ばれ、バロック時代とハイドンやモーツアルトの古典派の橋渡しをした重要な作曲家です。テレマンはバッハ家と親交があり、この次男の代父になりフィリップの名前を与えています。その縁かどうかは分かりませんが、エマニュエル・バッハはテレマンの後任としてハンブルク市の音楽監督に就任し、当時、父親をしのぐ名声を手に入れました。
フルート、ヴァイオリンと通奏低音のためソナタ ト長調は、ベルリンのフリードリッヒ大王に仕えていた1754の作品で、フルート好きの王様の好みの軽やかで感情変化の大きい多感様式の趣味を色濃く表した作品ですが、随所にエマニュエルらしい、2つの声部の絡み合い、分担や模倣などが散りばめられた佳作です。歌うような旋律で軽やかに始まる第1楽章に、2人の歌手のデュエットのような感情表現に溢れる第2楽章が続き、踊るように駆け抜けていく第3楽章で終ります。
A.スカルラッティ(1659〜1725)
A.Scarlatti
ソプラノと通奏低音のためのカンタータ 「私の希望よ」
Cantata for Soprano and basso continuo “Speranze mie”
レシタティーヴォ – アリア – レシタティーヴォ – アリア – アリア
Recitativo - Aria –
Recitativo – Aria - Aria
アレッサンドロ・スカルラッティは、バッハより一世代前のイタリアの作曲家です。1660年パレルモで音楽家一族に生まれ、幼い頃から音楽家になるべく育てられました。2人の姉妹と弟は歌手に、もう1人の弟は作曲家になりました。(自身の息子、ドメニコは、卓越した鍵盤楽器奏者、作曲家になり、同い年のバッハとともに後世に名を残すことになります。)アレッサンドロ・スカルラッティは、23歳のときにナポリ総督宮廷楽長となり、20年近く精力的に活動し、40曲のオペラを含む90曲近い舞台作品を生み出し、無名だったこの地をオペラなどの音楽の中心地に仕立て上げ、ナポリ楽派の始祖と呼ばれています。
カンタータは、独唱を中心に、語り(レシタティーヴォ)と歌(アリア)が交互に続き、多くは恋の物語を歌う世俗声楽曲で、スカルラッティは、何と知られているだけでも500曲以上のカンタータを残しており、当時いかに好まれたジャンルであるかわかります。Speranze mie(私の希望よ)は、1694年にナポリで作られた円熟の一曲で、語り・歌・語り・歌・歌の5つの部分が切れ目なく演奏されます。
(歌詞大意)
(レシタティーヴォ) 私の希望よ、さようなら。私は冷たい大理石の中でこの身を捨てます。不運で泣いていた私は美しい慰めを選びます。
(アリア) このような運命をお望みならば、私に残酷な運命、死を与えてください。私の心はもはや幸せを感じません。私は見捨てら残酷に縛られた魂を、不幸を嘆いています。不実な娘の誘いのため息を私の裏切られた心は決して聴かないでしょう。
(レシタティーヴォ/アリオーソ) 見せかけの喜びの顔で、深い考えもなく心変わりし、幸せすぎた愛の日々を遠ざけ、私をみじめにさせる。
(アリア) 私はもうあなたへの愛情はありません、哀れみもありません。どうぞ私の心に安らぎを与えてください。この心に、もっと多くの安らぎと多くの名誉を与えてください。
F.クープラン(1668〜1733)
F.Couperin
コンセール 第14番
Concert no.14
プレリュード – アルマンド – サラバンド – フゲッタ
(Prelude) – Allemande – Sarabande
– Fuguete
フランソワ・クープランは、バッハとならび称せられる音楽一家の頂点をなした人で、チェンバロのための組曲を多数残しており、その中のいくつかの曲はバッハも筆写して演奏しています。演奏するコンセールは宮殿で当時のヴァイオリン、フルート、オーボエやヴィオラ・ダ・ガンバの名手たちとクープランが共演し王様にお聞かせした曲を、後年合奏曲集(新しいコンセール集)として出版したものです。 演奏する14番目の合奏曲(コンセール)は、フランスで好まれた踊りの曲を中心とした組曲の形式をとっています。前奏曲に続き、2つの舞曲が続き、最後の楽章は、高音部と低音の掛け合いのフーガの形式で書かれています。楽器の編成は指定されていないので、本日はヴァイオリン、ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロの組み合わせでお聴きいただきます。
G.フレスコバルディ(1583〜1643)
G.Frescobaldi
戦いのカプリッチョ
Capriccio sopra la Battaglia
A. ポリエッティ(? 〜1683)
Alessandro Poglietti
カッコウのカプリッチョ、夜鳴きウグイスのカプリッチョ
Capriccietto sopra il
Cu Cu, Capriccio per lo Rossignolo
ジローラモ.フレスコバルディは、イタリア北方のフェラーラで生まれ、オルガンを修め、ローマの教会や宮廷のオルガニストとして活躍しました。主にチェンバロやオルガンのバロック音楽における作曲や演奏技法の基礎を作った人でバッハにも影響を与えています。カプリッチョは気ままにトいった意味で、模倣の技法を基にした自由な曲をで、多くの作曲家が作曲と演奏の腕前を競ったジャンルです。戦いのカプリッチョは、「チェンバロのためのトッカータとパルティータ集第1巻」の再版時に追加された曲で、ラッパの音や兵隊たちの様子が賑やかに描写されています。A. ポリエッティは、イタリアで生まれウィーンで活躍した教会音楽家です。カッコウのカプリッチョ、夜鳴きウグイスのカプリッチョは、それぞれの鳥の声を模倣した旋律が巧みに織り込まれた愛すべき小品です。
*** 休憩 ***
J.S.バッハ(1685〜1750) J.S.Bach
フルートと通奏低音のためソナタ ホ長調 BWV-1035
Sonata for Flute and Basso continuo E-major
アダージョ・マ・ノン・タント - アレグロ – シシリアーナ – アレグロ・アッサイ
Adagio ma non tanto – Allegro - Siciliana - Allegro assai
バッハは晩年、次男エマニュエル・バッハが宮廷鍵盤楽器奏者として仕えていたプロイセンのフリードリッヒ大王の宮廷を2度訪問しています。自ら達者にフルートを演奏し、多くのソナタや協奏曲を作曲するという音楽好きの王様は、ライブチッヒの鍵盤楽器と対位法の名人として知られた老バッハを招いたと考えられています。
この機会に大王の与えたテーマを元に作曲し自費出版し献呈した「音楽の捧げもの」が晩年の名作として良く知られていますが、この訪問はもうひとつフルート吹きにはとても大切な珠玉のような名曲フルートと通奏低音のためソナタ ホ長調を残しています。この曲は1741年または47年の訪問時に、大王と同じくフルートを上手に演奏したと言う、大王の侍従、フレーデルスドルフのために作曲されたものです。プロイセンで流行の軽やかで感情変化の大きい多感様式を取り入れて書かれていますが、旋律と低音の掛け合いの妙、特に第三楽章は、シシリアーノの舞曲を旋律と低音の完全な掛け合いであるカノンで作曲しており、対位法名人として招かれたバッハの面目躍如と言えましょう。
G.Ph.テレマン(1681〜1767)
G.Ph.Telemann
フルート、ヴァイオリン、ヴィオラ・ダ・ガンバと通奏低音のため協奏曲 ニ長調 (協奏曲第2番)
Concerto for Flute, Violin, Viola da gamba and Basso
continuo D-Major
アレグロ – アフェトゥオーソ – ヴィヴァーチェ
Allegro - Affettuoso - Vivace
テレマンは当時ヨーロッパ中に知られたドイツの作曲家で多くの組合せの室内楽曲を残していますが、特にトリオソナタと四重奏曲は彼の面目躍如のジャンルで、どのパートも対等に、しかも楽器の特長を生かした名曲を残しています。
この四重奏曲は、ハンブルクで1730年に出版された6曲の四重奏曲の中に含まれています。副題で協奏曲2番と名づけられたとおり、全奏とソロという協奏曲の原理を巧みに盛り込み、フルート、ヴァイオリン、ヴィオラ・ダ・ガンバの3つがソロの役割と伴奏の役割を両方担当しています。快活な全奏から始まり各楽器の妙技が披露される第1楽章に、シシリアーノ(舞曲)のリズムでヴィオラ・ダ・ガンバが活躍する第2楽章が続き、3拍子の舞曲のリズムにソロと低音の4つの声部が追いかけっこをしているようなスリル溢れる第3楽章で終ります。なお、後年1738年に、パリに招聘されたテレマンは、同じ形式で四重奏曲6曲を作り新しい四重奏曲として演奏、出版し大好評を得ました。このときにハンブルクでの6曲もパリの趣味にあわせ再出版しました。このため2つの曲集(全12曲)をパリ四重奏曲と呼ぶこともあります。
アンコール
どうもありがとうございました。
沢山の拍手をいただきましたので、
テレマンのパリ四重奏曲(ハンブルク四重奏曲)ソナタ第2番より第3楽章「ラルゴ」
をお送りします。
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