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30th Concert
山手西洋館 夏の宵のコンサートシリーズ
〜 バッハと息子たち 〜
アンサンブル山手バロッコ第30回演奏会
( “洋館で親しむバロック音楽”シリーズ第5回)
"J.S.Bach and his Sons”
2009年8月23日(日) 午後4時開演(3時30分開場)
山手234館(
4:00pm
23rd August. 2009 at Yamate234-House
主催: 財団法人
出演 アンサンブル山手バロッコ
わたしたち「アンサンブル山手バロッコ」は、98年、横浜山手の洋館 山手234番館のリニューアルに行なわれた記念のコンサートをきっかけに、山手在住のリコーダー愛好家 朝岡聡を中心に結成された、バロック時代の楽器(古楽器)を使った演奏団体で、継続的に山手の洋館での演奏活動を続けています。本日のメンバーは以下の通りです。
曽禰愛子(メゾソプラノ) Aiko Sone (Mezzo-soprano) :声楽を川上勝功氏、Uwe Heilmann氏に師事。横浜雙葉学園聖歌隊メンバーとして活躍し、現在、鹿児島国際大学短期大学部音楽科声楽専攻在学。
美代開太(バス)Kaita Mishiro (Bass)::声楽を池水成孝氏、Uwe Heilmann氏に師事。現在,鹿児島国際大学短期大学部音楽科声楽専攻在学、宗教音楽等のソリストとしても活動。鹿児島県出身。
江口陽子(フラウト・トラヴェルソ)Youko Eguchi (Flauto Traverso):フルート演奏を経て、フラウト・トラヴェルソを学ぶ。菊池香苗氏に師事。カメラータ・ムジカーレ同人。
曽禰寛純(フラウト・トラヴェルソ)Hirozumi Sone (Flauto Traverso)::フルート演奏を経て、フラウト・トラヴェルソを独学で学び、慶應バロックアンサンブルで演奏。1998年にリコーダーの朝岡聡と共に、アンサンブル山手バロックを結成し、横浜山手の洋館でのコンサートを継続している。カメラータ・ムジカーレ同人。
野口詩歩梨 (チェンバロ) Shihori Noguchi (Cembalo): 桐朋学園大学古楽器科卒業、同研究科修了。ピアノを伊原道代、雨田信子、チェンバロを故鍋島元子、又アンサンブルを有田正広、本間正史、中野哲也の各氏に師事。その後クイケン兄弟、モルテンセン氏などの指導を受ける。通奏低音奏者、ソリストとして幅広く活動。これまでにもフルートのM.ラリュー、F.アーヨ、中野哲也など数々の音楽家や室内オーケストラと共演。「音の輝きをもとめて」と題したソロリサイタルを開催、各方面より好評を得る。古楽情報誌アントレ製作ビデオ等に出演。山手西洋館で、ソロコンサート「洋館で親しむバッハのチェンバロ」で“洋館で親しむバロック音楽”シリーズの第1回に出演、好評を博す。
山手西洋館 夏の宵のコンサートシリーズ
〜 バッハと息子たち 〜
アンサンブル山手バロッコ第30回演奏会
(“洋館で親しむバロック音楽”シリーズ 第5回)
"J.S.Bach and his Sons”
横浜山手の洋館での夏の宵のコンサートにようこそお越し下さいました。山手234番館は、今年も古楽器によるバロック音楽のひとときをお届けいたします。本日のコンサートは、バッハとその息子たちをテーマにお送りします。
バッハは、1685年生まれのドイツの作曲家です。代々音楽家の家系に生まれ、幼い時から、オルガン、チェンバロなど鍵盤楽器に優れた腕前を発揮し、宮廷オルガニスト、宮廷楽長、都市の音楽監督と歴任し、当時最高位の音楽家になりました。2度の結婚で20人の子供に恵まれましたが、成人した息子は5人全員が音楽家になり、次の世代の重要な作曲家になった人もいます。友人に宛てた手紙で「我が家の子供は生まれながらの音楽家なのです」と誇らしげに書いていますが、一方で、子供を含む子弟の音楽教育にも力を注ぎました。
C.P.E.バッハ(1714〜1788) / 2本のフルートと通奏低音のためソナタ ホ長調 Wq162
アレグレット – アダージョ ディ モルト – アレグロ アッサイ
C.P.E. Bach / Sonata for two flutes and basso continuo E-ajor
Allegretto - Adagio di molto - Allegro assai
バッハの次男エマニュエルは、長男とわずか4歳しか違いませんが、その音楽についても音楽家としての活動についても父の影響を大きく受けた長男とは対照的に、父から受け継いだものを消化し自分らしい音楽として発展させたことで、大きく違う人生を送りました。父のもとで音楽を学び、有名なフリードリッヒ大王のお抱えチェンバロ奏者として就職しました。その後、ベルリンの宮廷を辞して(自分の名付け親でもある)テレマンの後任としてハンブルクの音楽監督に就任しました。新しい時代を巧みに採り入れた個性的な音楽が評判となり、曲集や鍵盤楽器の教則本を出版し、ハイドンにも大きな影響を与える時代の寵児として、1700年代後半にはバッハといえばエマニュエル・バッハを指すくらい成功しました。
演奏する2本のフルートと通奏低音のためソナタは、ベルリンの宮廷時代の作品で、無類のフルート好きで玄人はだしの演奏した、という王様の楽器のための曲になっています。当時保守的だったベルリンの宮廷でしたが、エマニュエルのこの曲は、2つのフルートが語り合うとともに大きな感情のうねりを組み込んだ進歩的な形式になっており宮廷の好みを大きくはみ出した名曲です。第二楽章は父親譲りの2本のフルートの絡み合いが、第三楽章は、フルート1本で消え入るように終了するなど工夫が凝らされています。
J.S.バッハ(1685〜1750) / マタイ受難曲 BWV244より
レシタティーヴォ 「愛しき救い主の君よ」 - とアリア「懺悔と悔いが」
J.S..Bach / Recitativo “Du lieber Heiland du” and Aria “Buß und Reu”
From St Matthew Passion
バッハは、その人生の後半をライプチッヒの町の音楽監督として過ごしました。この町の教会で毎週礼拝のときに演奏される教会カンタータを何年分も作曲し、キリスト教最大のイベントである受難節、復活祭や降誕節のための受難曲やオラトリオを作曲するなど大変精力的な活動をしました。(それに加え、息子や弟子を教え、町のコーヒーハウスで市民コンサートをし、ドレスデンの宮廷に献呈の演奏を捧げるなど、休むことの無いエネルギーはすさまじいものです。こんな父親は尊敬のまとでしょうが、同業者としての息子たちにとっては、高い壁のような存在だったのかもしれませんね)
マタイ受難曲はバッハの最高傑作であると同時に、古今の西洋音楽の最高峰とも言われています。本日は、そのなかで、マグダラのマリアがイエスさまに香油を注いだ場面の曲をお聴きいただきます。イエスへの大きな愛を表現したレシタティーヴォ(語り)に続き、アリアでは「悔悛と悔恨がこの罪深い心を引き裂く」という歌詞が、2本のフルートがその感情を表す音型とともに歌われます。中間部では「この涙のしずくが、心地よい香水となって、誠なるイエスとあなたに注がれますように」と涙や香油のしずくのしたたりを表す伴奏とともに歌われます。
J.S.バッハ(1685〜1750) / 最愛の兄の旅立ちに寄せるカプリッチョ 変ロ長調 BWV992
兄の旅立ちを引きとめようとする友人たちの甘い言葉 -異国で出会うだろう様々な出来事の想像 - 友人たち皆の嘆き) -
避けられないと分かった友人たちがやってきて別れを告げる - 御者のアリア - 御者の角笛を模したフーガ
J.S..Bach / Capriccio sopra la lontananza del fratello
dilettissimo, BWV992
Arioso(adagio)“Ist eine Schmeichelung
der Freunde, um denselben von seiner Reise abzuhalten.”
- “Ist eine Vorstellung unterschiedlicher Casuum, die ihm
in der Fremde koennten vorfallen.” –Adagiosissimo “Ist ein allgemeines Lamento der Freunde.”
- “Allhier kommen die Freunde (weil sie doch sehen, dass
es anders nicht sein kann und nehmen Abschied.”
- Aria di Postiglione – Fuga all’imitatione della cornetta di Postiglione
音楽家一族に生まれたバッハは、早くに両親をなくしましたが、親戚や兄弟の世話になり音楽家として成長しました。この最愛の兄の旅立ちに寄せるカプリッチョはバッハまだ10代の作品で、1704年に3歳年上の兄ヨハン・ヤコブがスウェーデン王カール12世の軍楽隊のオーボエ奏者として採用され赴任する際に作曲された描写音楽です。愛する兄、軍隊へ赴く兄への友人や親戚のかかわりや光景を、心温まるチェンバロ音楽につづりました。
曲は6つの部分に分かれています。まず、旅立ちを止めたいという、ご機嫌取りの様子が表されています。2曲目は、フーガ様式でかかれていますが、次々と転調を重ねていくことで、赴任先の軍隊での不安を表しているのだと思います。3曲目は、半音階の低音の動きの上に、何度も「嘆きのモチーフ」があらわれ別れの悲しみを歌います。4曲目は、厳かな曲想で別れの情景を描きます。最後の2曲は出発の馬車を表しています。御者のラッパの音が響くアリアに続き、兄を連れて走り去る馬車の快適な足取りをラッパの音をテーマにしたフーガに仕立てて、バッハは兄への贈り物を完成させています。
*** 休憩 ***
J.S.バッハ(1685〜1750) / カンタータ 「裏切り者の愛よ」 BWV203
”アリア「裏切り者の愛よ」 - レシタティーヴォ「私は試みよう」 - アリア「愛に執心する運命なら」
J.S..Bach / Cantata
“Amore traditore” BWV203
Aria “Amore traditore” - Recitativo “Voglio provar” –Aria “Chi in amore ha nemica la sorte”
バッハは生涯でイタリア語の歌われるカンタータを2曲残しています。たった2曲ですがイタリアで生まれ器楽伴奏で主に恋のテーマが歌われるイタリアン・カンタータについては、本家のヴィヴァルディやペルゴレージなどの作曲家の曲にも親しんでおり、それを消化吸収した上でバッハらしい楽曲を作っています。
このバス独奏とチェンバロのためのカンタータ「裏切り者の愛よ」は、失恋した若者の愛の苦痛とその克服、愛から逃れることができない悩みが描かれています。第一楽章「裏切り者の愛よ」では歌うような通奏低音の前奏のあと、自分の胸の痛みを、愛をののしるように激しく歌います。次のレシタティーヴォ「私は試みよう」では失恋の痛みを忘れようとしても、まだまだ希望はあるという気持ちにさせる、愛の神にもてあそばれるつらい気分を歌い、最後の「愛に執心する運命なら」では、愛から逃れられない運命の愚かさを歌います。この第三楽章にバッハはチェンバロの右手のパートも書き込み、悩める青年(バス)を翻弄するかのような技巧的なパッセージを散りばめ、歌とチェンバロが競い合うことで歌詞の表現に合わせた高い演奏効果が得られるように工夫されています。
W.F.バッハ(1710〜1784) / 2本のフルートと通奏低音のためソナタ ニ長調
アレグロ マ ノン トロッポ – ラルゴ – ヴィヴァーチェ
W.F.Bach / Sonata for two flutes and basso continuo D-major
Allegro ma non troppo - Largo – Vivace
バッハの長男、ヴィルヘルム・フリーデマンは、特に父親が手塩にかけて音楽教育をしたことで有名です。10歳の時に父親より、「フリーデマン・バッハの音楽帳」が与えられ、みなさんよくご存知のインヴェンションやフランス組曲、さらに平均律クラヴィーア曲集の初期稿が徐々に書き足され、チェンバロ演奏と作曲技法の訓練がされました。これらの曲は、弟たちや弟子たちに広く使われ、ハイドンやベートーヴェンにまで大きな影響を与えました。ドレスデンの宮廷やハレのオルガニストとして音楽家としての好スタートを切りましたが、偉大な父親の音楽と新たに流行してきた啓蒙思想時代の音楽との間に揺れ動いたのでしょうか、性格的にも不安定な部分が多かったようで、才能に恵まれたフリーデマンも、晩年にはベルリンで音楽教師を務めるなど不遇のなかで人生を終わりました。
この2本のフルートと通奏低音のためのソナタは1750年頃の曲で、フリーデマン・バッハの良い面が凝縮されたような曲で、バロック時代の掛け合いの妙と新たな時代の大きな表情の変化の組み合わせが巧みな第一楽章、掛け合いと歌うような旋律が美しい第二楽章、ジーグ(舞曲)のリズムでテレマン風のギャラントな第三楽章の3つの部分より構成されています。
アンコール
どうもありがとうございました。
沢山の拍手をいただきましたので、
バッハのカンタータ 第147番より「主よ人の望みの喜びよ」
をお送りします。
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