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山手234番館 古楽器コンサート

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21st Concert

 

アンサンブル山手バロッコ第21回演奏会

 

山手洋館 夏の宵のコンサートシリーズ

〜 夏の宵のバロック 〜

バッハとその周辺の曲を集めて

 

"Baroque Music in a Summer Night"

200777() 午後4時30分開演 

山手234番館 レクチャールーム (元町公園前、えのき亭隣り) 

4
30pm 7th July 2007 at Yamate234 House

 

出演 アンサンブル山手バロッコ 

わたしたち「アンサンブル山手バロッコ」は、98年、横浜山手の洋館 山手234番館のリニューアルに行なわれた記念のコンサートをきっかけに、山手在住のリコーダー愛好家 朝岡聡を中心に結成された、バロック時代の楽器(古楽器)を使った演奏団体で、継続的に山手の洋館での演奏活動を続けています。本日の演奏メンバーを紹介します。

曽禰寛純 Hirozumi Sone(フラウト・トラヴェルソ Flauto traverso,)
フルート演奏を経て、フラウト・トラヴェルソを独学で学び、慶應バロックアンサンブルで演奏。カメラータ・ムジカーレ同人。当アンサンブル発足メンバー。 

石野典嗣 Noritsugu Ishino(バロック・オーボエ Baroque Oboe):
バロック・オーボエを独学で学ぶ。古楽器演奏家の追っかけと押しかけレッスン受講歴有り。現在、カメラータ・ムジカーレ同人。

角田幹夫Mikio Tsunoda(バロック・ヴァイオリンBaroque Violin):
慶応バロックアンサンブルでヴァイオリンを演奏。独学でヴィオラ・ダ・ガンバを学ぶ。現在、カメラータ・ムジカーレ同人。当アンサンブル発足メンバー。

渡辺比登志Hitoshi Watanabe(ヴィオラ・ダ・ガンバViola da gamba):
慶応バロックアンサンブルでチェロを演奏。ヴィオラ・ダ・ガンバを神戸愉樹美氏に師事。現在、カメラータ・ムジカーレ同人。

酒井絵美子Emiko Sakai (チェンバロCembalo)
洗足学園音楽大学ピアノ科卒。チェンバロを岡田龍之介氏に師事。現在、ピアノ及びチェンバロ奏者として幅広く音楽活動を行っている。


 

アンサンブル山手バロッコ第21回演奏会

 

山手洋館 夏の宵のコンサートシリーズ

〜 夏の宵のバロック 〜

バッハとその周辺の曲を集めて…

"Baroque Music in a Summer Night"

 

プログラム
Program

 横浜山手の洋館での夏の宵のコンサートにようこそおいでいただきました。山手234番館は、昨年、一昨年に続き、古楽器によるバロック音楽のひとときを、お届けいたします。どうぞお楽しみください。今回のコンサートは、七夕の宵のコンサートなので、バロック音楽でもめったに出会わない珍しい曲や作曲家も取り入れてお贈りすることにいたしましたが、何らかの形でバロック最高の作曲家・音楽家であるヨハン・セバスチャン・バッハに関係することが分かりましたので、この解説では、バッハの曲から説明を始め、順次、各曲・各作曲家の説明をさせていただきたいと思います。

音楽の父として今日知られるバッハは、ドイツのアイゼナッハに生まれ、250年ほど前にライプチッヒで亡くなったバロック最大の作曲家です。バッハは生涯ドイツの限られた地域を出ることはありませんでしたが、北ドイツの重厚なオルガン音楽や対位法を学び、当時の音楽の先進国であったイタリアの協奏曲や声楽の様式や、フランスの組曲やチェンバロ、などの様式を吸収し、古いものと新しいものを融合し、統合された音楽世界を作り上げた類まれな音楽家といえると思います。バッハは、当時はオルガン、チェンバロ演奏の大家としてヨーロッパ中に知られている名演奏家でした。バッハは自分で出版もしましたが、テレマンの楽譜を購入し、また、手書きの楽譜の形でヨーロッパ中の何百という楽曲を勉強や演奏のために所蔵していました。また、バッハの高名を頼って、ヨーロッパ各地の名演奏家も頻繁にバッハ家に訪れていたようですので、バッハとその人たちとの共演の形で交流が行われたと考えられています。

 

G.F,ヘンデル(16851759) オーボエ、ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ 変ロ長調 HWV 380

アダージョ – アレグロ – ラルゴ – アレグロ

G.F. Handel /  Sonata for Oboe, Violin and Basso continuo B-Major HWV 380

Adagio Allegro Largo Allegro

 

ヘンデルはバッハと同じ年にドイツで生まれたバッハと並ぶバロック音楽の大音楽家ですが、一生ドイツの狭い地域にとどまったバッハと違い、若くしてイタリアに留学し、最後は、ドイツからイギリスに渡ってオペラやオラトリオ(舞台で演奏される宗教的な音楽劇)で大成功しました。バッハは、もちろんヘンデルの作品を筆写したり、演奏したりし、高く評価していました。バッハは、生涯で3回、ヘンデルに会うための接触をしますが、いずれもスケジュールや病気などで果たせずに、2大作曲家は、生涯会うことはありませんでした。

本日演奏するトリオソナタは、ヘンデルの作品の中でも最初期のものと考えられています。当時のトリオソナタの雛形どおりの「ゆっくり・はやい・ゆっくり・はやい」、の4つの楽章からなり、オーボエのために書かれたと考えられています。後年ヘンデルはドイツ時代を回顧し、「あの時分は、あの楽器(オーボエ)のために悪魔のように作曲したものだ」と述べています。余り演奏されない曲で、(最近の学説では、ヘンデルの真作ではなく、オーボエ、ヴァイオリンのために作曲されたということになっていますが、)当時のオーボエの能力を十二分に引き出した愛すべき作品だと思います。

 J.S.バッハ(16851750)  最愛の兄の旅立ちに寄せるカプリッチョ 変ロ長調 BWV992 

アリオーソ(アダージョ)「兄の旅立ちを引きとめようとする友人たちの甘い言葉」 - 「異国で出会うだろう様々な出来事の想像」 - アダージョシシモ 「友人たち皆の嘆き」 - 「避けられないと分かった友人たちがやってきて別れを告げる」 - 「郵便馬車の御者のアリア」 - 「郵便馬車の角笛を模したフーガ」 

J.S.Bach / Capriccio sopra la lontananza del fratello dilettissimo Capriccio on the departure of a beloved brother) Bb-Major BWV 992

Arioso(adagio) Ist eine Schmeichelung der Freunde, um denselben von seine Reise abzuhalten.  - Ist eine Vorstellung unterschiedlicher Casuum, die ihm in der Fremde koennten vorfallen. -  Adagiossimo “Ist ein allgemeines Lamento der Freunde. -Allhier kommen die Freunde (weil sie doch sehen, dass es anders nicht sein kann) und nehmen Abschied. -  Aria di Postiglione -  Fuga allimitatione della cornetta di Postiglione

 今日演奏する最愛の兄の旅立ちに寄せるカプリッチョは、バッハまだ10代の作品で、1704年に3歳年上の兄ヨハン・ヤコブがスウェーデン王カール12世の軍楽隊のオーボエ奏者として採用され赴任する際に作曲された描写音楽です。ヨハン・ヤコブは、バッハのすぐ上の兄で、両親に死に別れた直後に2人で、オールドルフの長兄のもとに身を寄せ、一緒に苦労を共にした間柄でした。バッハは、作曲の4年前に出版され、有名だったクーナウの「聖書ソナタ(聖書の出来事を描写した鍵盤曲)」の影響を受けながらも、愛する兄、軍隊へ赴く兄への友人や親戚のかかわりや光景を、心温まるチェンバロ音楽につづりました。(バッハは後日、クーナウの後任としてライブチッヒの音楽監督に就任することになります。)

曲は6つの部分に分かれています。まず、旅立ちを止めたいという、ご機嫌取りの曲。メロディーに6度の和音が寄り添うことで、その様子が表されています。2曲目は、フーガ様式でかかれていますが、次々と転調を重ねていくことで、赴任先の軍隊での不安を表しているのだと思います。3曲目は、半音階の低音の動きの上に、何度も「嘆きのモチーフ」があらわれ別れの悲しみを歌います。4曲目は、厳かな曲想でいよいよ別れの時の情景を描きます。最後の2曲は出発の馬車を表しています。御者のラッパの音が響くアリアに続き、兄を連れて走り去る馬車の快適な足取りをラッパの音をテーマにしたフーガに仕立てて、バッハは兄への贈り物を完成させています。

 

フリードリッヒ大王(17121786) フルートと通奏低音のためのソナタ ホ短調

グラーヴェ – アレグロ アッサイ – プレスト

Friedrich Wilhelm II / Sonata for Flute and Basso contiunuo e-minor

Grave Allegro assai Presto 

フリードリッヒ大王は、バッハより一世代後の人。1740年よりプロイセンの王になり、文武両道に長けた啓蒙専制君主としてプロイセン王国の盛期を築きあげました。ヴェルサイユ宮殿を模したサンスーシー(憂いなし)宮殿をベルリン郊外のポツダムに建設し、また優れた音楽家を集めた宮廷楽団を組織し、自らもフルート演奏に長け、多数のフルート協奏曲やフルートソナタを作曲しました。宮廷楽団には、クヴァンツ、ベンダ、グラウンなどの作曲家を擁していました。

バッハは、次男のエマニュエル・バッハが宮廷チェンバロ奏者として仕えていました。その縁もあり、晩年の1747年には、長男のフリーデマン・バッハと一緒に、ベルリンの大王の宮殿に招かれ、チェンバロ(とピアノフォルテ)演奏と対位法の即興演奏の腕前を披露し、大王を感嘆させました。バッハは帰宅後、対位法の曲と大王の楽器フルートを含む室内楽からなる「音楽のささげもの」を作曲し、大王に献呈しました。

ベルリンの宮殿は、多感様式といって、複雑な対位法などを使わず、メロディーを重視して、和声や強弱、曲想が頻繁に変わる音楽がもてはやされていました。大王のフルートソナタ ホ短調も、この多感様式でかかれており、比較的単純な通奏低音の上に、フルートが様々な表情や技巧を披露します。(自分で演奏された訳ですから、王様の腕前はなかなかのものだと思います。) ゆっくりした第1楽章、技巧を披露するはやい第2楽章に、同じく技巧を披露する大変速い(プレスト)の第3楽章からなっています。

 

   M.マレ(16561728) 「膀胱結石手術の描写」
ヴィオール曲集 第5巻より

M.Marais / Le Tableau de l'Operation de la Taille for Viola da gamba and Basso continuo

マラン・マレーは、本日演奏する作曲家のなかで唯一フランスの作曲家です。パリに生まれ、幼少時から音楽の才を現し、音楽教育で知られた名門聖歌隊で学んだ後、ヴィオラ・ダ・ガンバ(フランス語でヴィオール)の名手サントコロンブに師事しました。23歳の若さで宮廷ヴィオール奏者として太陽王ルイ14世に仕え、フランスにおけるヴィオールの技法を完成させたマレーは、「天使のごとくヴィオールを奏する」と讃えられました。

 マレーは生前に5巻のヴィオール曲集を出版しました。各巻には1つまたは2つのヴィオールと通奏低音のための、数編の組曲が収められています。「組曲」というのは同じ調性の舞曲をいくつか並べたもので、当時フランスではこれに、人名や情景・気分などを表すタイトルをもつ性格的小品を織り交ぜるのが流行でした。バッハは、マレーの音楽やフランスのヴィオラ・ダ・ガンバ演奏法を良く知っていたようです。というのも、バッハの最高傑作といわれるマタイ受難曲の、冒頭のテーマは、マレーの「メリトン氏の死を悼むトンボー(追悼曲)」のテーマが使われていると考えられていますし、バスアリア「来たれ甘き十字架よ」では、フランス様式のヴィオラ・ダ・ガンバの重音奏法を効果的に使っているからです。

さて、演奏する「膀胱結石手術の描写」は第5巻(1725)の第7組曲ホ短調の中にあります。手術の場面を描写した曲というのは、たいへん珍しいですね。楽譜では音符の下に「切開する」「鉗子を入れて、石を取り出す」「血が流れる」といったト書きが添えられています。当時のフランス上流社会では、塩漬けの肉を大量に消費したため、結石患者がとても多かったそうで、プロヴァンス地方のある医者が膀胱結石の手術法を編み出し、パリへ乗り込んで人々の話題をさらったとか。とはいえ、手術というものがまだ麻酔なしで行われていた時代のお話。この曲は手術の手順を説明するというより、むしろ手術を受ける患者の心理の動きを表現しています。

 

 J.H.シュメルツァー(1620頃〜1680)  1つの弦楽器のためのソナタ集より 第4番ニ長調

(指定なし)/サラバンド/アダージョ/ジーグ/(指定なし)/アレグロ/プレスト 

Johann Heinrich Schmelzer /  Sonata quarta in D

(Not specified)/Sarabanda/Adagio/Gigue/( Not specified)/allegro/Presto

シュメルツァーは、バッハより世代前の音楽家で、ハプスブルク家のレーオポルト1世の宮廷楽長を務めました。ウィーン宮廷の中心的音楽家として、宗教曲や世俗声楽曲、バレエ音楽などを書いていますが、シュメルツァーはヴァイオリン奏者としての才能も高く評価されていたようです。本日演奏する1つの弦楽器のためのソナタ集は、ニュルンベルクでバッハの生まれる20年ほど前の1664年に出版されましたが、ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタというジャンルでは、ドイツ・オーストリア圏で最初に出版された曲集として有名です。バッハがこの曲集を直接演奏したかどうかは分かっていませんが、シュメルツァーのヴァイオリン音楽は、ビーバーやバッハとも知己の間柄であったピゼンデルなどを通じて、バッハのヴァイオリン音楽につながっています。また、シュメルツァーは、無伴奏ヴァイオリンの曲も作っており、この分野でも、バッハは、この先人たちの創作を引き継ぎ、弦楽器に焦点をあてて、対位法の書法や技巧を、徹底して追求し、無伴奏ヴァイオリンソナタやパルティータを完成させました。

 本日演奏する、この曲集の第4番は、様々な速さや表情の部分が休みなく続く形式からなっています。前半は、繰り返しあらわれる低音をもとにしたシャコンヌとなっており、踊りの様式を含む様々な変奏をヴァイオリンが奏でていきます。後半は、より自由な形式でできていますが、徐々に動きやスピードが加わり緊張感を増して盛り上がっていき、ヴァイオリンの技巧も頂点に達し華やかに曲が終わります。

 

J.C.バッハ(17351782)  フルート、オーボエ、ヴァイオリン、ヴィオラ・ダ・ガンバと通奏低音のための五重奏曲 ハ長調 作品11-

アレグレット –アンダンティーノ – 変奏つきメヌエット 

J.C.Bach / Quintet for Flute, Oboe, Violin , Viola da gamba and Basso continuo C-Major Op.11-1  

Allegretto Andantino Menuetto con variatione 

 ヨハン・クリスチャン(J.C.)バッハはバッハの末息子で、バッハ50歳のときに生まれ、バッハの死後、兄のエマニュエル・バッハに引き取られ音楽を学び、イタリアに渡り、オルガニストとして活躍し、その後、ロンドンに移り住みオペラなどの劇場作品、交響曲、協奏曲、室内楽などの人気作曲家として有名になり「ロンドンのバッハ」と呼ばれています。作風は、バロックからモーツアルトなどの古典派に橋渡しをするギャラントな様式を得意としました、父親の得意であった対位法や複雑な低音の動きはなくなり、その代わりに歌うようなメロディーが比較的単純な低音伴奏の上に、織り合わさって行きます。若き日のモーツアルトは、クリスチャン・バッハと知り合い、この様式に大変影響も受け、尊敬もしていました。1782年に亡くなった時、「音楽の世界にとって最大の損失です。」と嘆き、バッハの主題による曲を捧げたとも言われています。

 本日演奏する作品11の五重奏曲は、クリスチャン・バッハがすぐれた演奏者がいることで有名なマンハイムの宮廷を訪ねた際に作曲され、演奏された曲だと考えられています。この曲は6曲からなる曲集の巻頭を飾る曲で、4つの旋律楽器が次々に美しい歌うようなメロディーを交わす第一楽章、オペラのデュエットのように管楽器(フルートとオーボエ)、弦楽器(ヴァイオリンとヴィオラ)が歌いあう第二楽章が続き、変奏つきのメヌエットで締めくくられます。メヌエットは、全員でのテーマの演奏に続き、オーボエやフルートの名人芸や、モーツアルトを髣髴(ほうふつ)とさせる弦合奏などを交え、楽しく曲が終わります。

 

 

アンコールは テレマンのフルート、オーボエ、ヴァイオリンと通奏低音のための四重奏曲(食卓の音楽 第1集より) ト長調より最終楽章(Vivace)を演奏しました。

 

 

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