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105th Concert
西洋館で親しむ
フォルテピアノと家庭音楽
House music in with Fortepiano
“洋館で親しむバロック音楽”第114回
2021年12月19日(日) 14時開演 横浜市イギリス館(横浜市中区山手町115−3)
14:00 19th Dec. 2021 at British house Yokohama
主催:アンサンブル山手バロッコ
出演
寺村 朋子(フォルテピアノ)
東京藝術大学チェンバロ科卒業。同大学大学院修士課程修了。チェンバロと通奏低音を山田貢、鈴木雅明の両氏に師事。第7回国際古楽コンクール山梨にてチェンバロ部門第2位入賞。イタリア、オーストリア、ベルギーなど国内外のアカデミーに参加して研鑽を積む。
NHK「FMリサイタル」に出演。その他様々な分野で多くの団体と演奏活動を行うほか、楽譜の出版も行っている。また、Youtube「Cembaloチェンバロう!」で演奏動画配信中。チェンバロソロCD「Capriccioお気に召すまま」(レコード芸術準推薦)リリース。
宮地楽器小金井アネックス・チェンバロ科講師。日本チェンバロ協会会員。
坪田 一子(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
国立音楽大学楽理学科卒業。在学中よりヴィオラ・ダ・ガンバを神戸愉樹美氏に師事。ベルギーでヴィーラント・クイケン氏、ポルトガルでパオロ・パンドルフォ氏のマスタークラスに参加。ヨーロッパの中世からルネサンス・バロック音楽まで、アンサンブルを中心に演奏活動をしている。上野学園中学校・高等学校、国立音楽大学非常勤講師。
曽禰 寛純(フラウト・トラヴェルソ)
フルート演奏を経て、フラウト・トラヴェルソを独学で習得、慶應バロックアンサンブルで演奏。1998年に朝岡聡と共に、アンサンブル山手バロッコを結成し、洋館でのコンサートを継続。カメラータ・ムジカーレ同人。
アンサンブル山手バロッコ第105回演奏会
西洋館で親しむ
フォルテピアノと家庭音楽
House music in with Fortepiano
“洋館で親しむバロック音楽”第114回
プログラムノート
(アンサンブル山手バロッコ 曽禰寛純)
横浜市イギリス館は、1937年に、英国総領事公邸として建設された由緒ある建物です。広々としたテラスで芝生の庭につながっている素晴らしい客間で、モーツァルトの愛したワルターモデルのフォルテピアノとヴィオラ・ダ・ガンバによるアンサンブルで18世紀のサロンコンサートをお届けします。ロンドンやパリなどで楽しまれた家庭音楽やサロンコンサートの味わいをご一緒に楽しみましょう。
♪ ♪ ♪
J.S.バッハ
J.S.Bach (1685−1750)
ゴルトベルク変奏曲よりアリア BWV988
Aria from Goldberg-Variations BWV988
本日お聴きいただくアーベル、クリスチャン・バッハ、そしてモーツァルトに、大きな影響を与えたのは、大バッハ、J.S.バッハでした。バロック音楽の時代は、家庭の鍵盤楽器はチェンバロが中心で、バッハ家に訪れる音楽家も競ってバッハのチェンバロとの共演を愉しんだものでしたし、奥さんや息子たちとの家庭音楽の中心にあったのもチェンバロでした。バロックから古典派に移り変わるのと時を同じくし、チェンバロは徐々にフォルテピアノにとってかわられました。バッハは、1740年代に2度ほど、息子のC.P.E.バッハの仕えていたベルリンのフリードリヒ大王の宮殿を訪問しました。その宮殿では、ドイツの名工ジルバーマン製作のフォルテピアノが愛好されていて、演奏したことも確かなようです。今日は、同じ頃に出版された有名なゴルドベルク変奏曲の主題を、宮廷での試奏に思いをはせて、フォルテピアノの音色でお聴きいただき、「フォルテピアノの家庭音楽」のプログラムをスタートしたいと思います。。
J.C.バッハ
J.C.Bach(1735-1782)
フォルテピアノのためのソナタハ短調 作品17-2 W.A8
Sonata for Pianoforte in c minor Op. 17
No. 2 W.A8
アレグロ - アンダンテ – プレスティシモ
Allegro – Andante – Prestissimo
バッハの4人の息子はそれぞれ立派な音楽家になり後世に名を残しました。次にお聴きいただくのは、バッハの末っ子のヨハン・クリスチャン・バッハです。クリスチャンは、1750年の父親の死後、ベルリンの兄C.P.E.バッハのもとに預けられ音楽教育を続けました。そこでイタリアオペラや新しい時代の音楽に触れ、1754年イタリアに移り、有名なマルティーニ神父より対位法を学び、教会オルガニストとなり、またオペラの作曲も行い人気を博しました。1762年に(生涯暮らすことになる)イギリスに渡り、ロンドン生活を始めました。そこで作曲家として、また鍵盤楽器の名手として、活躍し、イギリス王妃シャーロット専属の鍵盤楽器の教師となり、王妃ならびに王子・王女たちに音楽の稽古をしたり、国王ジョージ3世がフルートを吹くときに伴奏するなど、重用されました。また、親同士がドイツのケーテンの宮廷楽団の同僚で、家族ぐるみの付き合いがあったアーベルと再会し、ロンドンでの共同でコンサートを1764年から始め、亡くなる前年の1781年まで続けました。このコンサートは「バッハ・アーベル・コンサート」として有名になり、8歳になったモーツァルトは、父レオポルトにつれられてロンドンを訪問したときに接し、J.C.バッハとも知り合い、大きな影響を受け終生尊敬していました。
演奏するハ短調のソナタは、
1780 頃に出版された作品17のソナタ集に含まれています。出版譜には「チェンバロまたはフォルテピアノのための」と記載されており、1780年ころからのフォルテピアノの大きな人気の広がりを知ることができます。また、作曲内容についても、このハ短調のソナタの情熱的な表現やダイナミックな変化など、J.C.バッハがフォルテピアノの名手として成熟し、モーツァルトへのつながりを感じさせる充実した内容になっています。
C.F.アーベル
C.F.Abel(1723ー1787)
ヴィオラ・ダ・ガンバと通奏低音のためのソナタ ホ短調 WK146
Sonata for Viola da Gamba
and Basso continuo in e-minor WK146
モデラート - アダージョ - メヌエット
Moderato – Adagio – Minuetto
カール・フリードリッヒ・アーベルは、バッハと宮廷楽団の同僚であったヴィオラ・ダ・ガンバの名手クリスチャン・フェルデナンド・アーベルを父として、1723年に生まれました。父を師としてヴィオラ・ダ・ガンバの名人に育ったアーベルはJ.S.バッハに推薦状を書いてもらい、1748年にドレスデンで宮廷音楽家となりました。その後、1759年に宮廷楽団を出て、ロンドンに渡りシャーロット王妃のお抱え室内楽団に就職し、作曲と演奏で活躍しました。演奏するヴィオラ・ダ・ガンバと通奏低音のためのソナタ ホ短調は、1771年にアムステルダムで出版された「6曲のやさしいソナタ集」におさめられています。この曲集は鍵盤楽器やヴィオラ・ダ・ガンバの他、ヴァイオリンやフルートなどの旋律楽器でも演奏できるように書かれています。どの曲も親しみやすい中に器楽的な語法が盛り込まれ、楽器を習う人の最初のソナタとしてよく取り上げられます。6曲目のこのホ短調のソナタは曲集中唯一の短調の曲で、抒情的なメロディーが印象的です。
C.F.アーベル
C.F.Abel(1723ー1787)
無伴奏ヴィオラ・ダ・ガンバのためのソナタ ト長調 WK155
Sonata for unaccompanied Viola da Gamba in G-Major WK155
[ アダージョ ] - アレグロ - メヌエット
[ Adagio ] - Allegro - Minuet
次に演奏するアーベルの無伴奏ヴィオラ・ダ・ガンバのためのソナタ ト長調 WK155は、ペンブローク・コレクションとも呼ばれているペンブローク侯爵夫人に献呈されたヴィオラ・ダ・ガンバの作品集( W. クナイプ氏による作品番号WK152-185)の中の一曲です。この無伴奏ソナタには重音奏法が多く用いられていますが、ト長調で書かれているのでとても弾きやすく、ガンバ奏者が作曲するとこうなるのだなと思わせます。
W.A.モーツァルト
W.A.Mozart(1756-1791)
フルートとフォルテピアノのための協奏的ソナタ
ハ長調 KV299より アンダンティーノ
Andantino from Sonata Concertate
in C Major for Flute and Fortepiano with Viola da gamba KV299
いよいよモーツァルトの登場です。モーツァルトは、音楽家でヴァイオリニストの父親(レオポルト)によって幼少期から英才教育と欧州各地の音楽先進地への音楽旅行を通じて、早くから演奏と作曲の才能を開花させ、30余年の短い生涯に多種多様なジャンルに多くの名曲を残しました。16歳の時にオーストリアの地方都市ザルツブルクの宮廷楽団に就職しましたが、その後も新たな活動場所を求めて欧州の都市への旅行を重ねました。25歳でザルツブルクの司教と決別し、ウィーンへ移り、フリーランスの音楽家として幅広く活躍しました。 1778年にモーツァルトはパリを訪れました。就職活動としては成功しませんでしたが、フランスの有名な音楽会「コンセール・スピリチュエル」でパリ交響曲を初演し大成功しました。一方でマンハイムの管楽器の名手たちのための協奏交響曲を作曲しましたが、初演ができなかったことや、母親が旅行中に亡くなるなど厳しい時期にもなりました。
そのような時期に生まれた名曲、フルートとハープのための協奏曲は、貴族ギーヌ公の依頼でこの年にパリで作曲されたものです。ハープを巧みに演奏するギーヌ公の令嬢の結婚式の宴で、フルートを演奏するギーヌ公と共演できる作品として作曲されました。本日演奏するのは、オーケストラ伴奏の協奏曲を、フルートとフォルテピアノで演奏するようにG.キルヒナーが編曲したものです。モーツァルトはハープの音楽を作るのにフォルテピアノの発想や語法を多用したので、フォルテピアノでの演奏にも無理のないことから、協奏的ソナタの形に編曲されたものです。演奏する第2楽章アンダンティーノは、原曲も伴奏は弦楽器だけになり、このソナタ版でもフルートもフォルテピアノもほぼ原曲の形を保っています。今回は、結婚式をひかえて親子で練習をしているところに、フランス人の好むヴィオール(ヴィオラ・ダ・ガンバ)を持って奥さんも合奏に加わった・・・と想像をたくましくしてお楽しみください。
W.A.モーツァルト
W.A.Mozart(1756-1791)
フォルテピアノのためのソナタ ヘ長調 KV332
Sonata for Pianoforte in F Major KV332
アレグロ - アダージョ - アレグロ アッサイ
Allegro - Adagio - Allegro assai
最後に演奏するフォルテピアノのためのソナタ ヘ長調 KV332は、1783年頃ウィーンまたはザルツブルクで作曲されたと考えられている曲で、1784年に出版された3曲のピアノソナタ集に収められています。モーツァルトは、ドイツのアウグスブルグでフォルテピアノ製作者であり「ウィーン式アクション」と呼ばれるアクションを完成させたシュタインのフォルテピアノと出会い、演奏会を行って、父親にその楽器の素晴らしさを興奮した様子で報告しています。1781年にウィーンに移り、独立した音楽家として活躍を始めたモーツァルトは、その流れを汲むウィーンの名工 アントン・ワルターのフォルテピアノを所蔵し、演奏家、作曲家、教師としての活動の中心にこの楽器を据える生活を送りました。ワルターの楽器は、シュタインのアクションに改良を加え、連打が更に安定するメカニズムを追加しました。
さて、本日の曲は、トルコ行進曲付きの副題で有名なソナタを含むこの曲集のなかではおとなしい印象もありますが、単純に見えて可能性が拡がるように計画されていることを高く評価をする人も多い曲です。その特長が特に表れている第1楽章は、ふと思いついたままのようなテーマで始まりますが、その主題から舞曲のダイナミックな動きにつながり発展していきます。そして美しいアダージョの第2楽章を経て、一気に堰を切ったように激しい勢いで始まる第3楽章と続き、最後は静かに曲を締めくくります。
たくさんの拍手をいただきましたので
C.P.E.バッハのヴィオラ・ダ・ガンバと通奏低音のためのソナタ ハ長調よりアリオーゾ
J.C.バッハのフォルテピアノとフルート、ヴィオラダガンバのためのソナタ イ長調より パストラーレお聴きいただきます。
ありがとうございました。
演奏する楽器について:
■フォルテピアノ: Anton Walter(1800年頃)をモデルに野神俊哉氏が製作(2013年)
■クラシカル・フルート: Heinrich Grenser製作(1810年頃)のオリジナル
■ヴィオラ・ダ・ガンバ: Nathaniel Cross製作(ロンドン 1700年代)のオリジナルのチェロをヴィオラ・ダ・ガンバに改造(2005年)
参考文献:
海老沢敏ほか監修/モーツァルト事典、 東京書籍(1991)
久保田慶一/バッハの息子たち、音楽之友社(1989)
M.Olsekiewicz/Keyboards, Music Rooms, And The Bach Family at the Court of Frederick the Great,Bach Perspectives-11,University of Illinois Press(2017)
Eva Badura-Skoda/The Eighteenth-Century Fortepiano Grand and Its Patrons, Indiana University Press (2017)
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