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山手234番館 古楽器による夏のコンサート

 NEW!!
17th Concert

 

アンサンブル山手バロッコ 第17回演奏会 

〜家庭音楽の楽しみ〜

"Baroque House Music"

2005年9月10日(土) 午後3時30分開演 

山手234番館 2Fレクチャールーム(元町公園前、えのき亭隣り) 

3:30pm 10 Sept.. 2005 at Yamate234 House

出演 アンサンブル山手バロッコ 

わたしたち「アンサンブル山手バロッコ」は、98年、横浜山手の洋館 山手234番館のリニューアルに行なわれた記念のコンサートをきっかけに、山手在住のリコーダー愛好家 朝岡聡を中心に結成された、バロック時代の楽器(古楽器)を使った演奏団体で、継続的に山手の洋館での演奏活動を続けています。本日の演奏メンバーを紹介します。

曽禰  寛純 Hirozumi Sone(フラウト・トラヴェルソFlauto traverso,):
フルート演奏を経て、フラウト・トラヴェルソを独学で学び、慶応バロックアンサンブルで演奏。カメラータ・ムジカーレ同人。当アンサンブル発足メンバー。

角田 幹夫 Mikio Tsunoda(バロック・ヴァイオリンBaroque violin、ヴィオラ・ダ・ガンバViola da gamba) :
慶応バロックアンサンブルでバロック・ヴァイオリンを演奏。独学でヴィオラ・ダ・ガンバを学ぶ。現在、カメラータ・ムジカーレ同人。当アンサンブル発足メンバー。 

譜久島 譲Yuzuru Fukushima(ヴィオラ・ダ・ガンバViola da gamba):
16才よりギターを始める。クラシックギターを江間常男,フラメンコギターを飯ヶ谷守康の各氏に師事。その後バロック音楽に興味を持ち,ヴィオラ・ダ・ガンバを平尾雅子氏に師事。劇団青年座との共演、ロぺ・デ・ベガの作品やミヒャエル・エンデの童話の音付けなど、帽広い活動を行なっている。また,リコーダー製作を平尾重冶氏に師事し,製作家としても高い評価を得ている。

脇田 美佳 Mika Wakita(チェンバロCembalo
チェンバロを岡田龍之介氏に師事。大学卒業後、渡邊順生、曽根麻矢子両氏にレッスンを受け、研鑽を積む。カメラータ・ムジカーレ同人。


 

アンサンブル山手バロッコ 第17回演奏会 

〜家庭音楽の楽しみ〜

" Baroque House Music"

 

プログラム

 

 

 本日はアンサンブル山手バロッコのコンサートにおいで頂きありがとうございました。

今回は「家庭音楽の楽しみ」のテーマで、富裕な商人の館などで楽しまれたと考えられる、室内楽の数々をお届け致します。

 バロック時代は、職業音楽家は、教会や王侯貴族の専属の楽師となり、神様や王様に仕える音楽を作曲したり、演奏したりするのが一般的でした。本日登場するスカルラッティは、イタリアで活躍した後、スペインに渡り、残りの人生を王女の音楽教師として仕える道を選びました。テレマンも、バッハの次男カール・フィリップ・エマニュエルも、当初王様に仕える道を選びましたが、後に、発展しつつある商業都市(ハンブルク)の音楽監督として、市民に仕える新しい音楽家の生き方を選択しました。また、ラモーもパリでオペラ作曲家として、劇場の世界で成功しました。古典派を代表するハイドンも長い間、エステルハージ候に仕える宮廷作曲家として活躍し、市民音楽の領域に踏み出したのは、王様の死後になってのことでした。 

 当時、市民層は、公開演奏会を楽しんだり、自らの館に一流の音楽家(作曲家、演奏家)を招いたり、出版された楽譜を手に入れて、家庭で演奏し楽しんだり、という新たな層として台頭し、古典派以降のサロンコンサートの基を築いたと考えられています。

 本日は、このような王侯貴族・市民層の館で鳴り響いたと思われる曲を集めて皆様と一緒に楽しみたいと思います。

 

G.P.テレマン(1681-1767) 

フラウトトラヴェルソとヴァイオリンのためのデュエット ト長調 「忠実な音楽の師」より

G. Ph. Telemenn / Duetto G-Major from "Faithful Music Master"

アレグロ - ラルゲット - アレグロ・マ・ノン・タント

 フラウト・トラヴェルソとヴァイオリンのためのデュエットは、テレマンがハンブルクの音楽監督の時代に、定期的に出版した市民の楽しみのための音楽曲集「忠実な音楽の師」に収められた、愛すべき小品です。当時の流行作曲家であったテレマンは、アマチュア音楽家の要請に答えて、家庭で演奏できる様々な組み合わせの作曲をしました。

 この曲は、本日演奏する組み合わせ以外にも、リコーダーやヴィオラ、ヴィオラ・ダ・ガンバなどの楽器でも演奏できるように、工夫された出版譜になっており、多数の奏者の満足(購読)を得られるようなテレマンのサービス精神が溢れています。曲は、2つの楽器の特徴を活かしながら、どちらもソロが楽しめるような、聴いても変化のあり、演奏しても楽しい曲になっています。

 

D.スカルラッティ(1685 〜 1757) 

 チェンバロ・ソナタ ロ短調 K.87

D. Scarlatti  / Sonata for Cembalo b-minor K.87

  チェンバロ・ソナタを作曲したスカルラッティは、ヘンデル、バッハと同じ年のイタリアの作曲家、チェンバロの名手です。ナポリに生まれ、 有名なオペラ作曲家の父親(アレッサンドロ)に音楽の教育を受け、イタリアで活躍したあと、スペインに渡り、後半生を王女のための音楽教師として活躍し、550曲以上のチェンバロソナタを残しました。スカルラッティはチェンバロのさまざまな表現に挑戦し、活力と変化に富んだ独創的な境地に達しました。

J.P.ラモー(1693 〜 1764.) 

チェンバロ組曲第2巻(1724)より「一つ目巨人」

J. Ph. Rameau / "Cyclopes" for Cembalo solo 

  チェンバロ独奏の一つ目巨人を作曲したラモーは、スカルラッティとほぼ同時代人ですが、特定の王侯貴族に抱えられることなく、教会オルガニストを勤めた後は、パリで貴族の後ろ盾を得ながら、独立した音楽活動を送りました。また、遅咲きの作曲家で、50歳を超えてからオペラで成功し、パリのオペラ界でもてはやされました。ラモーはチェンバロ独奏のための小品を集めた組曲集を3巻出版していますが、いずれもオペラ作曲家として成功する以前の作です。

  一つ目巨人とは、ギリシャの叙情詩に登場する1つ目の怪物(キュクロプス)のことで、オデュッセウスにより退治される光景をラモーはこの曲で描いたと考えられます。戦いを暗示する躍動感溢れる曲想、左手と右手が交差が頻繁にあり、多くの跳躍もあるので演奏テクニックも要求するラモー鍵盤曲の中でも白眉の1曲です。

 

C. P. E バッハ(1714 - 1788) 

フラウト・トラヴェルソ、ヴァイオリンと通奏低音のためのトリオ  ニ短調 Wq-145 

C.P.E. Bach / Sonata for flute, violin and Basso continuo d-minor Wq-145

アレグレット - ラルゴ - アレグロ

  トリオソナタニ短調を作曲した、C.P.E.(カール・フィリップ・エマニュエル)バッハは、大バッハ(ヨハン・セバスチャン・バッハ)の次男で、ベルリンのバッハ、ハンブルグのバッハと呼ばれ、バロック時代とハイドンやモーツアルトの古典派の橋渡しをした重要な作曲家です。先のテレマンはバッハ家と親交があり、この次男の代父になりフィリップの名前を与えています。その縁かどうかは分かりませんが、エマニュエル・バッハはテレマンの後任としてハンブルク市の音楽監督に就任し、当時は父親をしのぐ名声を手に入れました。 

  この曲は、もともとは親元にいた17歳頃の作品で、バッハ家の家庭音楽の場やコーヒーハウスの音楽会で演奏されたようですが、新しい物好きのエマニュエルは、自分の初期の作品は焼き捨てたり、大幅な改作をしたりしていますので、現在残っているこの形は、フルート好きの王様(プロシアのフリードリッヒ大王)に使えた後年の趣味を色濃く表した改作とも考えられています。

  3つの楽章とも、歌うような旋律や急激な気分の変化など、新しい時代の息吹を感じさせる一方で、第2楽章の低音の動きなど、父親を思い起こさせる部分もある佳品に仕上がっています。

 

 

ヨゼフ・ハイドン(1732-1809) 

フラウト・トラヴェルソ、ヴァイオリンとヴィオラ・ダ・ガンバためのトリオ ニ長調 作品38の6 

J.Haydn  / Trio for Flute, Violin and Violoncello D-major Op-38-6

アレグロ モデラート - アダージョ - ヴィヴァーチェ

  ハイドンのトリオ イ長調は、1784年にロンドンで出版されました。ハイドンは、本日演奏する内で一番新しい音楽家で、古典派の様式を開いたといわれています。実際バロック時代の楽器で演奏すると、ハイドンがいかに前衛的な音楽を書いているかが良くわかります。 ハイドンは、エステルハージー候の宮廷音楽家として過ごしましたが、名声はヨーロッパ中に鳴り響いていました。

  今日演奏するトリオは、もともとは宮廷お抱えのヴァイオリン、フルートとチェロの名手によるアンサンブルを披露するために作られたと考えられますが、台頭してきたアマチュア演奏家を目当てにイギリスで6曲セットにして売り出され、晩年のロンドンでの大活躍を予感させるものです。(1802-3年に再版されていますので、今日この曲とは、ハイドンの作品の中で有名ではありませんが、当時は売れ筋の曲だったのかもしれません。) 

  曲は、親しみやすいテーマによる、はやい−ゆっくり−はやい、の3楽章からなっています。

 

G.P.テレマン(1681-1767) 

パリ四重奏曲 第4番 ロ短調 

G.P.Telemann /Paris Quartett No.4  b-minor 

プレリュード - クラント(流れるように) - ゲ(快活な) - ヴィート(速く) - トリスト(悲しく) - メヌエット

 最後に演奏するパリ四重奏曲は、1733年に出版された曲ですが、プロの演奏者を前提にした曲集になっていると思います。というのは、この曲はテレマンがフランスのパリに招待されたときに作られ、当時有名で現在まで記録の残る演奏家だった、フルート奏者ブラヴェ、ヴァイオリン奏者ギニォン、ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者フォルクレーで初演され、(テレマンの粋な曲作りと名演奏家の妙技がパリっ子の心をとらえ)最高級のもてなしを受けたと、テレマン自身、誇らしげに自伝の中で書いているからです。 

  この第4番は、フランス趣味の組曲の形式で書かれていますが、イタリアのスパイスも混ぜ合わせたヴィオラ・ダ・ガンバ協奏曲のような序曲で始まり、各楽器が重なり合い、微妙な色合いをつむぎ出すいくつかの舞曲が続きます。最後は、フランス趣味のメヌエットに基づく変奏曲で、それぞれの楽器が腕前を披露したあと、テーマに戻ってこの組曲を閉じます。

 

アンコールには、同じくテレマンのパリ四重奏曲(ハンブルク四重奏曲)協奏曲第2番ニ長調から第3楽章ヴィヴァーチェを演奏しました。

ご来場有難うございました。

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