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チェンバロとは

チェンバロ 名称の由来

まず、チェンバロの名前を聞かれたことがあるとおもいますが、由来について少しおさらいしてみます。チェンバロ、これはイタリア語の呼び方で、ギリシャ語のキンバロムに由来します。これはラテン語では。cymbalum(キュンバロムとかツィンバロム)となり、打楽器(シンバルやティンパニなど)と弦楽器を指す言葉でした。弦楽器と言っても、箱に弦をはっただけのシンプルな作りのもので、指やギターのピックのようなもので弦をはじいて音を出すタイプ(プサルテリウム)と、しなやかな木製のバチで弦をたたいて音を出すタイプ(ダルシマー)の二種類に分けることが出来ます。現代では奏法の違いから、名称を区別していますが、楽器の形が似ていることから、当時はどちらもツィンバロムとかプサルテリウムと呼ばれていたようです。

 

図 プサルテリウム図チェンバロの祖先とも言えるプサルテリウム(14-15世紀の絵より)

 

チェンバロはプサルテリウムに鍵盤を付け、弦をはじく機構を組み込んだもので、claves(鍵盤)+cymbalumからクラヴィツィンバロム(鍵盤つきのツィンバロム)と言う名称が生まれました。それがイタリア語風に変化されて、クラヴィチェンバロとなり、クラヴィがとれ、チェンバロと呼ばれるようになりました。フランス語ではクラブサンと呼ばれていますが、イタリアとは反対に語尾がとれた形です。英語ではハープシコードと呼ばれますが、同じ楽器を指します。

 

チェンバロの種類

チェンバロは弦をはじいて音を出す楽器だと説明しましたが、表紙にあるように・グランド型のタイプの他に、長方形のタイプ、多角形のタノプ、縦型のタイプと、様々な形のものがあり、名称もそれぞれ違いますが、弦をはじいて音を出す仕組みはどれも同じです。

 

チェンバロの起源

バロック音楽と言えばチェンバロというくらい登場しますが、一体いつ出来た楽器なのでしょうか?チェンバ日についての最古の記録は1397年、法律家の記述の中でクラヴィチェンバロムの語を見つけることが出来ます。15世紀になるとチェンバロを弾いている絵や彫刻が残されていますから、それ以前に作られたということになります。現存する最古のチェンバロは南ドイツで1480年頃に製作された縦型のチェンバロで、作者は分かっていません。

バロック時代チェンバロはどのような楽器と考えらえられていたのでレようか?ドイツの作曲家・音楽理論家であるヨハン・マッテゾンが、ありとあらゆる楽器を紹介した「新設のオルケストラ」(1713)には、チェンバロについて以下のように書かれています。

 

「響きの豊かなクラヴィーア。イタリア語のクラヴィチェンバロ(Clavicembalo)、チェンバロ(Cembalo)、フランス語のクラヴサン(Clavecin)も他の全ての楽器を凌駕するものであることに変わりはない。(中略)...世に広く用いられているチェンバロは教会、劇場、室内音楽において殆ど欠くべからざる基礎となる伴奏楽器である。...(山下道子訳)」

 

チェンバロの楽器としての特徴

さて、その音色は、同じ鍵盤楽籍のピアノとは大分違った音ですが、どんな仕掛けで音カミ出るのか少し説明しましょう。チェンバロは。弦をはじいて音を出すと言うことは説明しましたが、具体的にはジャックと呼ばれる木片にプレクトラムと呼ばれる小さな爪(材質は鳥の羽軸、今はプラスティックもある)が、はめこまれてあり、鍵盤を押すと先端にあるジャックが上がり、その爪が金属弦をはじいて発音します。もし、弦をはじいたあと爪が同じ位置に固定されたままだと、鍵盤から指を上げた時、それに連動してジャックがもとの位置に戻る行程で、もう一度弦に触れてしまいます。そこで、これを避けるために、ジャックに細長い切り抜き部分を作り、そこに爪をはめ込んだ小さな木片(タング)を回転軸で取り付けてあります。タングにはバネが付けられてあるのですが、弦をはじいた後、このタングが回転することによって、爪が弦を避けて、再び撥音できる位置にスムーズに戻れるようになっています。この素晴らしい仕組みが誰によって発明されたのかは分かっていません。

 典型的なチェンバロには一つの鍵盤に対して、3本の弦が張られています。それぞれの弦にジャックが装置されています。そのうち、2本の弦は同じ高さの音が、もう1本はそれより1オクターブ高い音が出るようになっています。基本は1本の弦をはじいている状態ですが、端にあるレジスターをオン・オフと切り替えることで、2本の弦を同時に鳴らしたり(音は大きくなる)、3本の弦を同時に鳴らしたり(さらに華やかになる)することが出来ます。また、弦の振動をフェルトや皮で止めて、音をくもらせる機能(リュートストップ)もついています。

図チェンバロ各部の名称(写真は堀栄蔵作のチェンバロ)

 

 少しピアノとの比較をしてみましょう。現代のピアノは皆様おなじみの楽器ですから、よくご存知かと思いますが、弦をハンマーでたたいて音を出す仕組みになっています。鍵盤を押すと上から下までスムーズに押すことが出来ます。これに対し、チェンバロは爪で弦をひっかく瞬間の強い低抗感があります。ですが、現代のピアノよりもうんと軽いタッチです。現代のピアノを弾くときのような強い力は必要ありませんが、はじく瞬間の微妙なコントロールが必要になります。

 軽いタッチといえば、初期のピアノも同じです。初期のピアノは木製のフレームが使われていました。今の金属のフレームより張力は低く、弦も細く、ハンマーも小さいものでしたから、音量も今のピアノより小さく、タッチも軽く浅いものでした。ボディーや鍵盤の感じ、タッチは、モダンピアノよりもチェンバロに近い訳です。

 ところで、バロック時代の花形チェンバロはいっ頃まで使われていたのでしょうか? 実際には古典派のハイドンやモーツァルトの初期まで使われていました。チェンバロはレジスターを操作することで音量や音色を変えることが出来るとお話しましたが、その中間のニュアンスを表現することは出来ません。もっと音量の豊かな楽器、音の強弱や音色を自由にあらわせる新しい楽器が求められ、その要求にこたえて発明されたのがピアノでした。イタリアのバルトロメオ・クリストフォリによって発明され、最初の楽器が完成したのは1709年でした。(バッハも一度、ピアノに触れていますが、新しい楽器はお気に召さなかったようです。) こうして18世紀、メロディー中心の音楽へと様式の変化が進むにつれ、ピアノが優位になり、チェンバロは忘れられ、(現代の復興のときまで)一度は完全に過去のものとなってしまうのです

 

バロック前期、中期の楽器と音楽

バロック時代を通じてチェンバロは広く使われましたが、1700年くらいまでの前期〜中期にかけては、どのような楽器がつかわれたのでしょうか。15世紀末ごろから16世紀にかけて、チェンバロの主要な製作地はその語源の様に、イタリアでした。イタリアのチヱンバロは薄手で蓋がなく、楽器本体とは別のケースに納められているのが特徴です。16世紀の末頃から数多くのチェンバロがアルプスを越えて北ヨーロッパに広がり、海を越えてイギリスにまで運ばれました。

イタリアンタイプのチェンバロ(堀栄蔵氏製作)

 

リュッカースタイプのチェンパロ(当時の絵画から)

 

 17世紀にはフランドル地方が主要な製作地になり、その中心はリュッカース一族でした。彼らが創り出した楽器は厚手のケースに特徴があり、今までとは違った内部構造にすることにより、製作の効率を上げることができました。大量生産に乗って次々に送り出されたリュッカースのチェンバロは、ちょうどヴァイオリンのストラディヴァリウスのように、名声をとどろかせ、音楽好きの貴族たちが競うように求めました。フェルメール、ヤンステーンなどオランダの絵画にもチェンバロが描かれています。

 

 また、初期の楽器の鍵盤にはピアノの鍵盤とは違った、独特のものがありました。ショートオクターヴと呼ばれるもので、最低音域の使われることの少ないシャープの鍵を他の音に変えることによって、音域を拡張したものです。17世紀後半になると、鍵盤をふたつに分割されたものが多くなります。これによって」広い幅をとる和音を簡単に演奏することが出来ました。

 なお、チェンバロの鍵盤というと、ピアノとは白黒逆のタイプと思われがちですが、ピアノと同じ配色のものもありますし、木の色をそのまま使っているものもあります。

 さて、この頃のチェンバロではどのような曲が弾かれていたのでしょうか? 16世紀、17世紀は舞曲や変奏曲、声楽を模したもの、それから忘れてはならないのは通奏像音としての存在でした。

16世紀後半から一世紀近くにわたり、イギリスではウァージナル音楽が大流行しました。ヴァージナル(箱型のチェンバロ)やスピネット(小型のチェンバロ)ほ、小型で持ち運びが簡単ですし、価格も安いことから、卓上に置いて弾く家庭用の鍵盤楽器として人気があったのです。

 それを示す例として、「フィッツウイリアム・ヴァージナル・プック」という曲集があり、主要な作曲家、バード、ブル、ギボンズらの作品が約300集められています。

 その頃、イタリアではイギリスとは違った新しいスタイルが展開されていました。その中心人物となったのはフレスコバルディで、対技法作品やトッカータなどで、鍵盤楽曲独自の語法を推し進めました。

 フランスではリュートから派生した舞曲が中心で、すべて全音符で書かれた小節線のない前秦曲(即興的な要素の名残)や、装飾音が重要な役割を果たすようになりました。作曲家ではルイ・クープランやダングルベールを上げることが出来ます。

 

 チェンバロのもう一つの役割として、ソロの他にアンサンブルや歌の伴奏が重要でした。ピアノのような表情を付けることは出来ないことをお話しましたが、チェンバロ演奏で特徴的なのは和音をばらして弾く、アルペッジォ奏法です。早いものにするのか、遅くするのか、通奏低音では和音の音の数を増やすのか、少なくするのか、同じ和音でも弾くタイミングによってニュアンスを変えるのです。

 

バロック後期の楽器と音楽 チェンバロの発展、フランスとドイツ

バロック初期から中期のチェンバロ曲は、ソロで弾いたり、アンサンブルや歌の伴奏に使われた様ですが、バロックの終わりにかけては、また大きな変化がありました。17世紀。チェンバロの名声を獲得したリュッカース一族でしたが、17世紀の終わりには、もう見る影もないほど衰えていました。それに替わってチェンバロの中心となったのはパリでした。パリのチェンバロ製作家はリュッカースの工法に従うようになり、新しい楽器を製作すると共に、リュッカース一族によって作られたチェンバロを新しい趣味に合ったものに改造してしまいました。

フランスでは二段鍵盤を持った楽器の需要が大きかったことから、リュッカースの一段鍵盤の楽器を二段にしたり、音域を拡大したりと、大改造(ラヴァルマン)されました。

「なんてことを!」と言いたくなるところですが、それにより、リュッカースの持つ力強さ、鮮明さは後退し、のびやかな響きを持つ表情豊かな楽器へと生まれ変わり、F.クープラン、ラモーに代表される華麗な音楽が生まれたのです。彼らはチェンバロの撥弦の効果を利用した描写的な小品をたくさん作り、メロディーに装飾音を加えることでより表現を豊かにしました。

フランスのチェンバロ(当時の絵画より)

 

この時代、チェンバロの響板には美しい花が、蓋には油彩で宗教画などが描かれ、楽器であると同時に豪華に装飾された美術品として、貴族のステイタスになっていました。

この点で、ピアノはチェンバロには敵いませんでした。

フレンチタイプのチェンバロ(堀栄蔵さん作)(演奏はチェンバロ奏者の岡田龍之介氏)

 さて、我々になじみの深い鍵盤楽器・チェンバロの名人といえば、バッハですが、バッハはどんな楽器を弾いていたでしょうか? ドイツではイタリアの構造を受けた、より大型の楽器が作られていました。バッハが弾いたといわれている楽器はミートケによるもので、この楽器に出会ったことで、ブランデンブルグ協奏曲5番の一楽章、チェンバロ・カデンツァの部分を大幅に書き直したことは有名です。

よく知られている「イタリア協奏曲」は大型のチェンバロのために書かれた曲で、当時、弦楽の合奏協奏曲の主な形式だった、総奏(トゥッティ)の部分と、独奏(ソロ)の部分の交代からなるリトルネロ形式を、チェンバロ一台での演奏を試みた斬新なものでした。

 

 

クラシックに向けて

 このように円熟したバロック音楽はバッハの亡くなった1750年頃を境に、市民の台頭が進み1789年のフランス革命に代表される新しい時代に向かって、その時代精神と音楽表現は大きく変化しました。バロック時代の音楽技法(複数の旋律がからみあう対位法、低音が曲を引っ張り、和声をリードする通奏低音、語るような演奏方法など)を、いったん精算し、単純で歌うような旋律、段階的な強弱の対比でなく感情の連続的な変化を求める方向に変化しました。また、演奏場所も教会や王侯貴族の広間から、もっと広い劇場などに変化し、オーケストラのような大編成も始まります(もっとも今のオーケストラと違いせいぜい数十人編成でしたが。)つまり、皆さん良くご存知の、ハイドン、モーツアルトを経てベートーベンへつながる古典派の時代に入っていくわけです。

 楽器もこの要求に応えて変化が起こります。バロック時代に愛されていた、チェンバロは、劇的なダイナミックスや、大きなホールでの演奏に適さないため徐々に使われなくなり、代わって、現在のピアノの初期の形であるピアノフォルテが、多く用いられるようになります。

 

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